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ワタクシ流☆絵解き館その240 青木繁の絵に感化され生まれた詩を読む part2

🔳 蒲原有明『有明集』より「海の幸」を思わせる詩句

青木繁のよき理解者であり支援者でもあった詩人蒲原 有明の『有明集』巻頭詩「知恵の相者は我を見て」の詩行に、「海の幸」のイメージに重なる描写がある。
蒲原有明は、「海の幸」を絶賛して自作の詩を添え、また青木の布良の海景の絵を購入していた人である。

眼をし閉れば打ち続く沙 ( いさご ) の果てを
黄昏に項 ( うな ) 垂れてゆくもののかげ
飢ゑてさまよふ獣かととがめたまはめ

蒲原有明『有明集』所収 明治41(1907)年刊 「知恵の相者は我を見て」の部分抜粋

🔳 青木繁の「海の幸」「漁夫晩帰」に触発されている阪本 越郎の詩

昭和の詩人阪本 越郎の次の詩は、「海の幸」(1904年) の舞台、布良での取材ではないが、同じ房総の、現在鴨川市の一般的には鯛の浦と呼ぶ浜の光景をうたっている。また「漁夫晩帰」(1908年) の光景にもつながっている。
意識して、オマージュの詩を書いたとまでは言えないが、大きな構図で見れば、青木繁の「海の幸」「漁夫晩帰」が、その裏にあるのが見えて来る。

薄暮     ―安房 妙の浦にて
                      阪本 越郎
刀のやうな魚をさげてかへる人がある
蒼然と暮れた海岸の家の小径に
わずかにとびかはす春の残光を
その魚の肌だけにあつめてゐる
それゆゑ魚はすらりと青くひかつてゐる

さういふ魚をさげたひとが みてゐると
あちらからも こちらからもでてくる
波が崖ぷちにくだけるおとがして
ほのかに面白のおんながかれとならんで
こどもをおぶって
いそいそあるくのがちらりとみえたりする

よるのさみしさが崖のところまできてゐるのに
漁師がむかへにきた妻と子とかへるらしい
なにかひとの世の和やかな気分がそよいでいる
かれらの家のあたたかな爐の上で
ぢいぢいと油の匂ひをたてるにちがひない
刀のやうな魚をさげてをり
ひたすらだまつて通るので
かなたいちめんの暗い波ばかりがつぶやいてゐる

詩集『海辺旅情』1942年刊 所収
青木繁  「漁夫晩帰 」 1908年  ウッドワン美術館蔵

🔳 青木繁の「海の幸」を連想させる平田文也の詩

平田 文也 ( ひらた ふみなり ) は、大正15年生まれで堀口大学に師事した。フランスの詩人の訳詩集がある。
次の詩「前夜」は、青木繁の「海の幸」の ( 描かれてはいないが ) 背後に思いを遊ばせてくれるような詩だ。この詩の情景のあとに、「海の幸」の男たちの帰漁姿が続いているような気分にさせてくれる。

前夜                  平田 文也

宵のうちから
漁村は傾くほどににぎわった
《あけがたには獲物を満載した舟が帰って来る》
とのことだった
浜では赤い篝火が
おおきくもえて 
ひとびとは みずからを
一個の装飾のようにふるまった
明日の晴雨をうらなう星の天蓋が
水平線からかれらの頭上へと
かぶさってきても
うねりくねって
満潮がくさい匂いの海藻や貝がらを
おびだだしく渚にうちあげても
そんなことなど
どうでもよかった
(中略)
やがて
頭上の星々は
虚空の底へと流れていった
潮ははるかに
しりぞきさった
(以下略)

黒田清輝 「漁舟着岸」1897年 油彩 東京文化財研究所蔵 房州の海岸で取材した作品

「海の幸」の舞台、布良で取材した作品ではないが、志摩半島の先端の漁村を描いた小川詮雄の下の絵「漁村の夏」は、時代も10年ほど遅れるだけで、青木が見た夏の漁村の気分を想像させてくれる。 

小川詮雄 (おがわ のりお/1894-1944) 「漁村の夏」1914年 油彩 三重県立美術館蔵 
大王町波切 (三重県志摩市) で取材の絵 

                  令和5年8月     瀬戸風  凪
                                                                                                      setokaze nagi

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