俳句のいさらゐ ◍⦿◍ 松尾芭蕉『笈の小文』より。「若葉して御目の雫ぬぐはばや」
松尾芭蕉の生み出す小宇宙を味わうシリーズ。
標題の「いさらゐ」はちいさな泉のこと。にじみ出て来る思いを、そんな古語に喩えてみた。
1688年(貞享5年)4月8日に、芭蕉が奈良の唐招提寺を訪れ、鑑真和上の像を見て詠んだ句である。
鑑真和上像に、芭蕉は頬を伝う雫を見た。この句から、私は三好達治の「涙」という詩を思い出す。下に示す。
達治は、幼い子が悲しみにいっしんに向き合っている姿に、累々と重ねられてきた万物の生き死にの果てに、われとわが子が今、ここに存在していることを思い、人の涙も悠久の営みの表象であることを感じ取ったのである。
日本へ渡り、教えを伝えたいと渇望し、それを成し遂げる苦難のなかで盲いてしまった悲しみに、涙を浮かべられたこともあったことでしょう、という思いが、芭蕉に「御目の雫」を幻視させている。
その己が胸内のみで感じ取った鑑真和上の涙に芭蕉は、達治が詩に表現した、鳥が歌うような、花が開き匂い立つような、和上の欲得を離れた熱意に、己の人生を生き切ることの原点を思い、清らかなものに触れた思いを持ったのである。
そして、その憐憫の思いと謝意と敬愛の入り混じった切情を、季節を彩っている若葉をもって、幻視した「御目の雫」を拭うことで、芭蕉は礼節を示したいと感じたのである。
無垢な精神には、燦々と萌える、無疵の若葉こそが、その厳かな儀式にふさわしい祭具なのだ。
「若葉して」は、芭蕉の、人の真摯な姿に感じやすい心、また徳に対して感謝の念を吐露しないではいられない心を代表する句だと思うが、同じ精神性から生まれている句として、『奥の細道』の山中温泉での句を思い出す。
その理由は、上の句は、久米之助という宿の主人に捧げられていると同時に、難行でもある長い旅の同行者曽良へのいたわりの気持ちも込められていると思うからだ。
『奥の細道』には、泊った宿の主人は、久米之助といって、まだ少年であると書かれている。芭蕉は桃青という自分の雅号から桃の字を与え、この少年の俳号を桃妖としている。父子二代にわたり、とくに父亡きあと、少年の身で自覚して山中俳壇に貢献せんとする徳に感激の思いがあり、久米之助の名を挙げた上で、土地褒め、宿褒めの句としたのだ。
また、山中温泉に至り、長旅疲れで病勢増した曽良のために、「毎日湯の匂いを嗅ぎながら、ゆっくりしようではないか、曽良よ。湯につかっているだけで健やかになれるという山中温泉なのだから」という呼びかけの気持ちも重ねていると思う。
令和5年3月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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