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ワタクシ流☆絵解き館その219 妖しかったり不気味だったり、水中の女性像。

繰り返し取り上げて来た青木繁「わだつみのいろこの宮」は、海神の国での山幸彦と豊玉姫の出会いの場面である。
今回は、世界の絵画に目を向け、どんなふうに海底、水中の女性像は絵画化されているのかを、いくつかの作品により探り、対照して「わだつみのいろこの宮」の海底の描き方を改めて眺めてみよう。

■ 古賀春江「深海の情景」

「わだつみのいろこの宮」とともに、海底場面を描いた日本の絵画の代表的な作品であろう。
女性と言っていいのかどうかという問題はあるが、人魚ならぬ、人猫?雌猫人?けれどその肌の白さが、暗い絵の風景の抜け穴のようだ。ヴィーナスが座るはずの真珠貝だが、まるで人食い貝?
海藻は、緑をなさず灰色で死の匂いを漂わせる。これを他の画家がやると、「古賀春江の二番煎じ」と言われるだろう。

古賀春江 「深海の情景」 油彩 1933年(昭和8年) 大原美術館蔵

■ ワシーリー・デニーソフ「海底」

一部を切り取れば鉱石の紋様みたいだ。プリミティブアート ( 土着の民族美術 ) の模様のようでもある。
人物も中性的だ。

ワシーリー・デニーソフ 「海底」 油彩 1907年(明治40年) 

■ ポール・アルバート・ステック 「入水するオフィーリア」

読んだこともないし、内容もよく知らないが、シェイクスピアの作品「ハムレット」の登場人物が下の絵のオフィーリアだ。川に身を投げて果てる。西洋絵画定番の画題で、中でもミレイの描いた川面に浮かぶオフィーリア像がよく知られている。
この画面は、不気味さと妖しさの際にある。しっかりと胸に当てられた手からまだ息のあることを感じ取れば、怖い絵でもある。

ポール・アルバート・ステック 「入水するオフィーリア」 1894年(明治27年)

■ チャールズ・コートニー・カラン 「深海の幻想」

「わだつみのいろこの宮」を逆にしたような男女の立ち位置で、縦長画面が必然の描き方である。
男の方が海底にいて、女たちの方が上から男を見つめる。人の息とは思えない大きな水泡が昇っている。海に沈んだ死んだ男たちの亡霊のようにも見えて来て、画面の下半分は薄気味悪い。

チャールズ・コートニー・カラン 「深海の幻想」 1929年(昭和4年)

■ ボリス・オルシャンスキー「海底王宮のサドコ 」

タイトルのサドコは人名で、奥側に座る男。サドコのストーリーは結構複雑で、読もうという気になれないが、極めて簡単に言うとこんな話。
難破しかけたサドコが、海の王をなだめ、同船の者を助けんとやむなく海に身を沈め、海底の王宮に行ったところ、思わぬ歓待を受け、そこで地上へ帰る術を授けられて、彼の供養をしていた場へ帰って来る。それからは地上で富める商人になったという話だ。
大筋では、世界各地にある「浦島伝説」のひとつともみなされるらしい。
女性たちはサドコをもてなす存在だ。
つまりこの絵に描かれている背景は、ロシア版「わだつみのいろこの宮」と言っていいだろう。

ボリス・オルシャンスキー「海底王宮のサドコ 」1999年

■ イリヤ・レーピン 「サドコ」他

サドコは右端に立つ。画面左上にいるのは、地上でサドコの帰りを待つ妻。

イリヤ・レーピン 「サドコ」 サンクトペテルブルグ 1876年(明治9年) ロシア美術館蔵
ミハイル・ヴルーベル「サドコ」

■ ジャン・デルヴィル  「栄華を司る天使」

空中を浮遊している様子だろうが、どこかしら海中の雰囲気を漂わせている部分があって、拾ってみた。男は栄華を得んと、天使に近寄っているのだろう。

ジャン・デルヴィル  「栄華を司る天使」 油彩 1894年頃(明治27年頃)

■ グスタフ・クリムト「水の妖精」

これは、水木しげるの世界だ。水の妖怪、というタイトルの方がふさわしい気がする。画面構成は単純な発想だが、雰囲気のある画趣に仕立てるクリムトの冴え。金の揺らぎは、熱湯が噴き出している様子にも見えて来る。

グスタフ・クリムト「水の妖精」油彩 1899年(明治32年) ウィーン自治体中央貯蓄銀行蔵

■ グスタフ・クリムト 「Goldfische」

クリムト版「黄泉比良坂」と言いたいような雰囲気がある。中央の空間が、大きな頭部の影に見えて来る。
よく言われることだが、流麗な曲線、金の使い方など、日本の屏風絵の装飾性を連想させる。

グスタフ・クリムト 「Goldfische」油彩 1902年(明治35年)  ソロトゥルン美術館

■ エドマンド・ヂュラック 挿絵「人間になる薬をもって魔界をぬける人魚姫」

水・女性 ( 濡れた髪 ) ・裸体の組み合わせで描くとき、水浴図とともに人魚がテーマに選ばれる。多くは波の上の容姿だが、水中を潜る珍しい絵もあった。タイトルからすれば、からみ合う海藻は、人魚姫を阻んでいることになる。

エドマンド・ヂュラック 挿絵「人間になる薬をもって魔界をぬける人魚姫」
アンデルセンの童話より

■ バーン=ジョーンズ 「深海」

人魚の「我が意を得たり」という表情が印象的だ。対して男の無表情。ただ男は足先まで、力が入っている。海底の様子は無機質だ。

バーン=ジョーンズ 「深海」 油彩 1887年(明治20年) フォッグ美術館蔵

■ ハーバート・ドレイパー 「飛び魚 」

水中から抜け出した裸像も一枚挙げておく。上半身は、筋骨隆々、乳房も隠されているが、下半身は女性らしいふくらみというアンバランスな面白さを感じる。海底の女神が、飛び魚に化身して地上を目指すのだろうか。

ハーバート・ドレイパー 「飛び魚 」油彩 1910年(明治43年) 個人蔵

■ ヘンリーハーダー 「海底」

ここからは女性像抜きで、海底の様子を描いた絵を並べる。ヘンリーハーダーの「海底」は、小学校の頃、学習雑誌か図鑑などで見た挿絵を思い出す。海草の揺らぎは、「わだつみのいろこの宮」の図柄に近いものがある。

ヘンリーハーダー 「海底」 1908年(明治41年) 版画 個人蔵

■ オディロン・ルドン 「海底の幻想」「ヴィーナスの誕生」

実際の海洋生物を写しているようでもあり、ルドン独自の想像のようでもある。海中の花の幻想だと思うが、夜の闇に咲くという花のイメージを思わせる。

オディロン・ルドン 「海底の幻想」 制作年不明

ヴィーナスがまるで子宮内の胎児のイメージで描かれている。ごく一部をトリミングすれば、抽象画のように見えるのがルドンの特色だ。

オディロン・ルドン 「ヴィーナスの誕生」 油彩 制作年不明

■ 青木繁「わだつみのいろこの宮」

最後に改めて「わだつみのいろこの宮」。挙げてきた絵の中で、最も澄明な海底だと感じる。詩情という点でも深い。

青木繁 「わだつみのいろこの宮」 油彩 1907年 重要文化財 アーティゾン美術館蔵

                    令和5年1月  瀬戸風  凪
                                                                                             setokaze nagi


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