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ワタクシ流☆絵解き館その51 船を造り続けて来た男たちへ捧ぐ

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  吉田博 「瀬戸内海集第二集 木江」 版画 1930年(昭和5年)

偏狭なナショナリストの言に聞こえるかもしれないが、事実から考えて、世界に通用する造船という技術を持つことが、日本人の精神の支柱であり続けて来たと信じている。
筆者は船が好きだ。ファンネルマーク(煙突に描かれた印)を眺めるのさえ楽しい。一艘ごとに固有名詞(〇〇丸)を持つ船と言う物語。造船に人生を捧げて来た人たちを讃えたい、そしていつまでも船を造り続ける民族であってほしいと願う。
そんな思いと、造船の聖地、木江と言う地名にも畏敬の念を込めた自作の詩です。木版の名匠吉田博の絵に重ねてお読みください。

木江(きのえ) 
                 瀬戸風 凪          

喧噪(けんそう) 
殷賑(いんしん) 
横溢(おういつ)…
紅塵(こうじん)舞い立つそんな時代があった
かつて造船業で栄えに栄えた瀬戸内の湊(みなと) 
広島県大崎上島(かみしま)木江(きのえ)には…
今 入り江の隈々(くまぐま)にこぼれているのは
燻(いぶ)された 黝(くろ)ずみの 
けれど残る微温を封じた彩(いろどり)
造船所の天駆(あまが)ける打音は今なお止むことはない 

この島の出のあまたの船大工たちよ 
造船技術者たちよ
男たちは請われるままに灘を渡り
近代明治の世から研(と)がれ続けた
造船技術の蘖(※ひこばえ)を芽吹かせたのだ
凪海(なぎうみ)の彼方の遠い湊々に 
さらには遥かな異国の岸にまで

男たちの仕事を誰もが褒(ほ)めたたえた
何処(いづこ)の国にも通ずる語(ことのは)だった
男たちが作り伝えた「船」というものは…
数かぎりない詩編の航走波(みお)が綴られてきたのだ
その語(ことのは)によって

やがてその語(ことのは)の
壮(さか)んなる茂りに押し返されるように
老いた男たちは島へ戻って来た
そのくたびれた肩も今ではもう路地には見られない
未だ苔(こけ)蒸さない角張った墓石が
島の傾(なだ)りに 
詩もなく照り映えているばかり…

     ※蘖(ひこばえ)―樹木の根元から生えてくる若芽のこと

別記 
noteでは、「ナカムラ_風呂屋の煙突」さんの記事で、木江を紹介されています。秀逸です。ぜひ、頁にご訪問を。


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