俳句のいさらゐ ::::: 松尾芭蕉『野ざらし紀行』より。「命二つの中に生きたる桜かな」
三好達治の詩「雪」は、名詩集『測量船』の中でもことに知られた詩であるが、筆者はこの詩の雪をこう解釈している。
達治が「雪ふりつむ」の繰り返しで暗示したのは、雪は四季の巡りの果ての、四季の風物のもろもろの象徴であり、太郎次郎という古来から連綿と与えられて来た名を持つ市井の人々の暮らしの屋根の上に、同じ様相をして幾たびもの四季が巡ったという、歳月の積み重ねの意味だと受け止めている。
さらには、そうして幾世代も代替わりして、ひとつひとつの家系と、風土に根付いたものは続いてゆく、ということさえ暗示していると考えている。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」( 劉希夷「代悲白頭翁」)の詩境に通づるものだとも思う。
そういう世に出ることのない人たちの生き方を、自分には選べないと自覚しているからこそ、達治の胸のうちには、諦観と羨望とが揺曳しているのだ。
達治の「雪」について言ったのは、芭蕉の下に掲げた句を味わうためだ。
芭蕉のこの句の「桜」も、達治の「雪」と等しい意味を示していると考えるからである。つまり、「桜」は幾たびも巡り来ては去った春の代名詞であり、その歳月の中に繰り返された喜びと悲哀の形代でもあるだろう。
そしてこの歌の背後には、芭蕉が敬愛した先達、西行の次の一首が潜んでいると思う。
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添わずなりにき
この歌の本意は、俗を離れ風雅を愛づる生き方を「梢の花=桜」によって象徴しているのであろう。西行は、北面の武士 ( 宮廷武官 ) の道を放擲して出家し世捨て人になった人である。その出家の動機をズバリと述べたような歌だと思う。
芭蕉もまた武士の勤めを捨てて、寄る辺を持たない世間の枠外の人となった。それでやっと文雅の道に一念に生きることが可能だったというべきだろう。そのことを『奥の細道』の書き出しでこう述懐している
予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず
つまり、「命二つの中に生きたる桜」とは、文雅とは何かを問い続けることがむつかしい生きにくい処世の日々にあって、あなたもわたしもその精神をもって人生を貫いている、という確信であり、新たな奮起の思いを述べたものでもあろう。
その「命二つ」と表現された一つの命はもちろん芭蕉自身であり、二つ目の命は幼いころに芭蕉に俳諧を学び、のちに芭蕉の俳論を伝える『三冊子』、芭蕉の生涯全作品の集大成『蕉翁句集』『蕉翁文集』を完成させた、芭蕉同志の門弟、服部土芳である。この句は、服部土芳と再会した時の感動により生まれたものだ。
すなわち、私の風雅への志を理解し、ともに生きようとするのは、誰を置いてもない、服部土芳、あなただけだ、という意を句にこめている。
土芳に、私と志を同じうするあなたは、余人もって替え難い、と言っていることになる。そこから連想すれば、芭蕉の心には、次の歌も響いていたかもしれない。
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る
( 紀友則 古今集 )
令和5年3月 瀬戸風 凪
setokaze nagi