俳句のいさらゐ 🔘🟣🔘 松尾芭蕉 患う自分の姿を詠む
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先ず冒頭に一つの疑問を出そう。
この疑問について調べてはいないのだが、どうも腑に落ちないことがある。貞享3年、芭蕉43歳の春、芭蕉庵で二十番句会を興行していて、今栄蔵『芭蕉年譜大成』( 角川書店刊 ) の記述では、作者が集まる衆議判形式での参加者40名となっているが、深川の芭蕉庵に、句を出した者皆がそこに来ていたのか?
句会そのものはどこかの料亭など、別の場所で行ったと考えるほうが自然ではないだろうか。芭蕉庵に集まったのだとすれば、屋外での野宴に近いスタイルしか想像でき