093 平均台を渡る
誰にでも拠り所や居場所というものがあって、それにすがりたい気持ちを抱えている。
その気持ちが強くなりすぎると「依存」と言われ、離れる動きを取ると「独立」や「自立」などと見なされる。
平衡感覚を保ち続けることこそが、多感のこの現代を生きるコツであるのかもしれない。と思うわけです。
とあるゲージの満ち欠け
前回からだいぶ時間が過ぎてしまいました。
案の定あーだこーだ言いたいことは溜まってはいたのですが、ゆっくりと一人の時間を作れずじまいでせわしなく過ぎたここ2週間です。
いよいよ11月へと突入してしまい、年末や新年を意識させる言葉が、街中で増えてきたように思えます。
大学生が終末へと向かい、3年生たちは「就活」なんてステキな言葉が近づき、子どもたちは受験へと、無情であり唯一絶対の存在である時間の流れは、私たちに違った試練を課してきますね。
諸行無常のクソ響き。
ある物語の「クライマックス」という言葉は、そのお話の終わりの方という意味ではなく、一番盛り上がるところという意味です。誤って使っている大人はもういないですかね。
普通は、この大学4年生がクライマックスになってほしいところなのですが、どうやらそうにも思えません。そう思えなかったから、急ピッチでクライマックスを創り上げようとしているかのようなここ最近です。
人とのかかわりは楽しいものです。なるべく多くの人と話して、話して、また話して、満足感を互いに感じられたら。
けれども、やはりその時間が増えすぎると、ぎゅっと寒さをこらえるかのように閉じこまって、一人の時間が恋しくなってしまいます。
これはかなり昔から思っていることですが、家に籠りすぎても、どうせ浮かぶものは”私”発のことばかりで退屈。
スマホ一台で世界中の情報が手に入る時代だとしても、どの情報を探しに行くかなんて、私出発の考えなのだから目新しいものなんて見つけづらい。
家に籠りすぎるとさすがに孤独を感じ始める。孤独の対義語を見つけることは難しそうなので、あえて書きはしませんが、「孤独ー孤独ではない」のゲージがあるとして、「孤独」まで行かないように耳から人の声を入れていたくなるんです。
ラジオ好きな人は分かってくれるかな。
ラジオで満たされていく偽りのnot孤独感に嫌気がさして、人との予定をいれてみる。そしていつかは満たされ、過剰に摂取しすぎた栄養を徐々に徐々に消化しながら、次は一人の時間を欲していく。
こんなのことの繰り返しです。なんともわがままで、めんどくさい人だなと思ってしまいます。
内定先の人事の方に言われた、
「君は、自信と謙虚のバランス感覚が良い。」
という誉め言葉がどうにも心にへばりついて離れず、気に入っています。
理論と感情・構造化と抽象化 とか
このお言葉を頂いて以来、世の中のモノをなにかと二項対立の形で考えるような癖がついたと思います。
男と女、山と海、嬉しさと悲しさ、愛しさと…反対はなんだろうかね
ちょっと、ここからはpodcastでどうぞ
podcast
初の試み、ぜひどうぞ。
おしまい。
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