106 さざめき渡る
夜ふかしの言い訳の一つに、「寝ると明日が来てしまうから。」というものがあると思う。
明日を迎えることが憂鬱だったり、どうにか今日という日を終わらせまいとする気持ちの現れだろうか。
0時をすぎれば日付が変わることを決めたのは人間であるのに、それに抗うように「今日」の残業時間を進めてゆく。
睡眠不足は悪いと心では分かっているはずなのに、何かがさざめいてきそうな夜と共に過ごしたくなるものだ。
外連もない
試用期間とやらが10/15をもって終了し、正式に社会人としての肩書が定着した。
ここ最近思うこととしては、新卒で総合職として採用されたからだろうか、新しいアイデアや観点を強く求められているということである。
学校現場というのは、(大学職員の方も言っていたが)基本的に昨年と同じ業務を踏襲し、滞りなく再現していくことが多いようだ。何かを根底から覆したりする動きを感じることはまずない。
私の勤め先は、学校法人とはいえ競合他社という存在が株式会社として乱立している。
利益を第一にする会社とは違って、事業の継続のためには利益が必要であるから(お客様)よろしくお願いいたします。という丁寧な物腰が、学校法人には求められているらしい。
「お客様(生徒)を第一に考え、結果儲かる」
というモットーを掲げている先輩職員もいる。
だからこそ、他社が新たな教育的価値を、お客さんにとっての価値の源泉を掘り当ててしまうと、昨年踏襲で進みすぎる会社からは客が離れてしまう。
そうはさせまいと、良いところは昨年踏襲、改良できる点は迅速に行う。その回転にいよいよ放り込まれている感覚だ。
例えば、毎月2回 体験授業に来てくれて且つ未入塾の方へ、ハガキを送る業務がある。1.5か月に一回程度自分の番が回ってきて、準備から発送までを一人で行う。
昨月分のハガキがデータとして残っているため、すべての作業は1日で完結することを夏休み前に担当した際に把握できた。
今回も同様に、発送日の3日ほど前から動き出し、「リーダー➡チーフ➡校舎長」の順にチェックを行えば余裕だろうと。
そう考えていた自分が甘すぎた。
呑気に昨月分のパワポを開き、「10月」を「11月」に変更し、若干文章を自分の好きなように変えて提出したら、チーフで大幅に止まった。
使用しているフォントの多さ、目線誘導の悪さ、もらった人に何をしてほしいかの不明瞭さなどなど、かなりの指摘をされた(前回もこれと同じやつを発送したんだろ?なぜそこまで酷評される?!あなたもこれでOKしたんだよね?! と心の中でつぶやく)。
結果、ハガキに対する考え方や、ノウハウを得ることはできたからまったく問題ないのだが、
「前回踏襲はもう許しませんよ♡ 毎度変化を加えてね♡♡♡」という愛のメッセージを強く受け取った次第である。
(結局、チーフの指摘通り修正し、発送予定日当日に作業を完了させた。そのてん末をリーダーも校舎長も把握してくれていたので、差戻からの行動が早いね、と結果褒められた。優しい人が多い職場で本当に助かる。)
マルチ-ディメンション
社会人となり半年が過ぎ、学校現場は早くも来年度の募集に動き出している。おそらく自校者にも、新卒が入ってくるだろう。彼らとの出会いが何よりも楽しみである。
さて、少し息をついて考えてみる。なぜ、教育を仕事にしようと思ったのだろう。
散々面接で語ったので、あえてすべては書かないが、アルバイトで出会った子どもたちが最も影響を及ぼしている。
そこで芽生えた以下の問題意識達。
たかが大学生アルバイトに教わるような子どももいれば、プロの講師に教わる人もいる。けれど、どちらも目指す先は高校/大学受験という同じ目標。教育は社会に不可欠で、すべての会社・社会が、教育によって人が成長することの恩恵を受ける。義務教育では足らない教育が、昨今の受験には求められているようだ。
けれども、親の意識や、経済的理由で教育投資を受けられる子に差が出ている。もっと強い言葉で言うと、格差がある。
目の前にいるこの子たちは、俺ごときの授業をレベルの高いものだと、良質だと感じていたのだろうか。大学生に教わるようなことはしてこなかった自分が囁く。
現代日本に制度上の格差はないが、間違いなく(残酷なほどに)様々な格差がある。以下のピラミッドは模式図であるが、私がアルバイト時代に出会ったのは、③とか④のあたりの生徒だと思う。
彼らと出会い、自分の境遇との差を感じ、悲観し、教育に熱意を注ぐようになった。
大きな会社に入って、教育業界を見下ろせたらななんて思って。けれど、その予想も甘すぎた。
学生時代にも うすうす分かっていたことではあったが、大きい会社に入ったから①ー⑤のすべてを見れるわけではなく、大きい会社は①か②程度の層しか見えない。
高いところに立ったところで、下の方は遠すぎて見えない。
「弊塾に来るような親たちって、感覚と財力が私たちとは違う。だって、私立の中高一貫校に通わせながら、大手予備校にも通わせるなんて私はできないよ。」 と、地元が同じの、子持ちリーダーのいつかの言葉にも納得だ。
もちろん、今の働き方に不満があるわけでもないし、身についている能力もたくさん感じている。
けれど、新卒の肩書の方が強かった当初の問題意識はどこへ行った?このままの働き方で、過去の自分は納得する?
「KAWAI視点の常識を疑え」なんていう社内キャッチコピーに目が眩む。
近々、人事考課の中間レビューが行われる。そこまでには、この想いをぶつけられるようにしよう。きっと、教育業界で働く大先輩たちにぶつければ、何かの答え(応え)があるだろう。
その日までに、もう少し整理できるよう見直そう。
夜のさざめきがうるさくなってきた。
おしまい。
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