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ケイン&アベル 観劇感想書き殴り!(1)

好みの問題だと思うのですが、私は壮大なテーマのミュージカルや舞台が苦手です。
元々の原作に触れずに観劇するのも良くないのですが、登場人物があっという間に年をとってしまったり、恋に落ちる過程がなく、いきなり命を捨ててでもこの恋に賭ける思いを歌い上げたりして、正直、登場人物に思いを寄せる前に、舞台が終わってしまっていることが殆どだったので、壮大なテーマよりは、その時2時間を切り取ったような舞台の方が私には合っていると思っていました。

なので、ケイン&アベルの制作が発表された時は、私の好みじゃないなとそれほど期待もせず臨んだんです。

所が所が、ところがです!
結局のところ一度観たらその世界に惹かれまくって追いチケし、高い遠征費を払ってまで複数回観劇し、その都度発見があったり、感動があったり、結果、あまり期待していなかった過去の自分に土下座からの前転をしても足りないくらい謝らせたい!
私にとってその位のミュージカルとなっていました。

そんなハマりまくったケイン&アベルの感想と考察を書いてみたのでよかったら読んでください。

【私を置いていかなかった脚本】
ケイン&アベルは時間が10年単位で飛んでいきます。これが私を心配させた、登場人物に心を寄せないうちに物事が進んでしまう原因です。
ですが、ケイアベは狂言回しのフロレンティナが、要所要所で物語を一度客席に戻してくれたり、ちゃんと説明してくれるので「あ、今はこの時代なんだな」と事前にこちら側がわかるので時間の流れに置いてかれる事がありません。
しかも、2幕の最初では確執が生まれた2人の間をフロレンティナが
「この人(ケイン)はあなたの成功を祈ってる」とアベルに語りかけ
「あなたもプライドを捨てて」
とケインに訴えかけます。
まさにこちら側の『それなーー!!』をフロレンティナが舞台上で代弁してくれる事で、その気持ちをしっかりと受け取った上で話を進めていきますよ、というのがわかって、私が置いてかれる事がありませんでした。
一つのエピソードにそれほど時間をかけるわけではありせんが、その中でしっかり登場人物のキャラクターを確立させていくので、無理もなく登場人物に心を寄せる事ができました。
ただ、1人だけ最後までわからなかった人物がいます。

それは、ジョージです。

原作を知らない私は、ジョージがいつ裏切るのだろうと思ってました。
ですが、ジョージは最初から最後まで、誰よりもブレず、フロレンティナ、リチャードの父親代わりまでするなんて、1番の人格者!!
なぜジョージはアベルから離れなかったのか?アベルへの憧れならアベルのやり方に染まっていくはずなのに「こんなやり方は嫌いだ」と忠告する中立さがある。
ほんと、不思議で愛おしい人物でした。

ここで、各登場人物を私なりに深掘りしてみます。

[高潔すぎるケイン]
幼い頃に尊敬する父親を亡くしたケイン。なので彼の中で父親は、憧れのヒーローのままでした。父親が死なずにいたら、大人になるにつれていろんな父親を知る事ができ、尊敬する父親にも欠点はあると気づいて「なんだ、大人ってこんなものか」と高潔すぎないケインになっていたのかもしれないと思いました。
また、ヒーローの父親しか見れていなかったので、高潔な父親を目指し、まさにその名に恥じぬように行動したのですが、それが仇となってしまったのかもしれないなと。
 そして、彼の中での『母親の死』というのはかなり衝撃的で、ヘンリーの言う通り、公衆の面前であんなことを告発しなければ良かったのにと自分を責めただろう。だからこそ、「母親を【殺した】」「リロイを【殺した】」「俺(アベル)を【殺す】」
と言う【殺す】と言うワードに対する拒否反応が大きく、ある意味PTSDのようだと見てて思いました。その言葉から逃げたくて、また頑なになり、且つ高潔すぎるケインが邪魔をして、暴走する自分を止められなかったのかも知れない。

[人情派アベル]
 対するアベルは、かなり情に厚い人間として私は映りました。
自分を認めてくれた伯爵のために城を取り戻そうと生き抜いたり、自分の才能を見抜き引き上げてくれたデイヴィスに対しての忠誠心…そこには必ず『命』が存在する。
 幼い頃から生死の狭間で生きぬいてきた彼だからこそ、自分に差し出された手は決して離さないと誓い、行動できるのかも知れないと思いました。だからこそ、娘に「愚か」と言われてしまうくらいな行動をしてしまったのですが。
 そして、NYに上陸したアベルは名前を変えられたくなくて、黙って腕輪を見せます。そこだけで、アベルの頭の良さがわかり、その頭の良さでアメリカで生き抜いていくことを示唆しているなと思いました。

[ケインとアベル]
舞台上では敵なのかライバルなのかと火花を散らす2人で、ビジネスも家庭も同じ感じなのかと思いましたが、人は裏切らないし、ほぼ勘当状態でもおじいちゃんに会いたいという孫の言葉から、娘達は父親の悪口を子供に伝えていない事がわかります。なので、あの2人、普段はそれほど火花を散らすような人間ではなく、ちゃんと子供達とも向き合って愛していた。
そうでなければ、2世は大抵へっぽこなのが常なのに、フロレンティナは後に大統領になる!!(パンフより)
それだけあの2人は、お互いのことになると異様なほどに愚かだったんだろうなと、悲しくなりました。

[移民としての誇りを忘れなかったザフィア]
移民からのし上がるアベルの妻となったザフィア、NYの社交界でも蔑まれたりして苦労したのだろうなと容易に想像されます。
あなたならできると夫を鼓舞しながら、私にはできる、移民の私だからこそできるんだと自分を奮い立たせていたのかもしれないと思いました。

[背筋を伸ばすケイト]
父親ほど歳の離れた男性の妻だったケイト。ケインとの恋の落ち方を見ると夫との関係は夫婦の愛というよりは、親と子と言った面での愛が強かったのかもしれないと想像しました。
そこからウィリアムと結婚し、財産目当てと陰口をたくさん叩かれただろうけど、そんな時こそ、ウィリアムと出会った時のように背筋を伸ばし、私を救えるのは私自身と自分を鼓舞していたのかもしれないと思いました。

この女性たちはこのミュージカルでとても強い存在として描かれていと感じました。
そこから導き出した私の考察はまた別の所で述べたいと思います。

[相棒のマシュー]
ウィリアムとはずっと学校も寄宿舎も一緒で、ウィリアムの言う通り家族より濃い時間を過ごした。常に前をいくウィリアムの背中を見るのは誇らしくもあり、悔しくもあったろうなと思いましたが、きっとその感情さえも伝え合える関係だったし、ウィリアムも社交的なマシューが羨ましかった。お互いの苦手なところを補完し合える、まさに相棒だったんだろうと思いました。
 マシューはケインにとって家族以上だったし、そのマシューを失ったことは、ケインにとってこの上ない喪失だっただろうと容易に想像できます。だから戦場で死にかけたとき、まず、語りかけたのは、両親ではなく、マシューでした。ソウルメイトを失ったウィリアムはどこまでも孤独で、残念なことにそれを埋める術を持っていなかったように映りました。

[良いところを受け継いだリチャード]
ウィリアムを愛し続けたケイトの一途さと、ウィリアムのように1つの目標ができるとそのための行動はどんな障害があっても成し遂げる。しかもしなやかに。そんな両親の良いところを受け取ったのがリチャードだと思いました。

[まさにアベルの娘フロレンティナ]
フロレンティナは可愛らしい容姿とは裏腹に、こうしようと決めたことは絶対譲りません。
あんなに目の前で「言うことを聞け]とアベルに凄まれても一歩も引かない。今自分が賭ける人生がかけがいのないものだと信じているから。
真っ赤なコートが表すように、まさにアベルの娘だと思いました。

[私の中ではちょっと可愛いヘンリー]
原作ではかなりのクソ野郎らしいヘンリーですが、私の中では少し可愛らしく写っています。ウィリアムの母親が亡くなった時に、本当に悲しそうにしてました。騙す気持ちもあったけど、アンの事をそれなりに愛していたのかなと思いました。また、あんなに悪態をついているのに、素直にウィリアムの言うことを聞いてシカゴで働いていたりして「プププ、ヘンリーったら、可愛らしいところがあるじゃない」ってヘンリーの人間味を感じました。
友人に話したところ「んなことあるか!!あいつは酷いやつなんだぞ」と速攻で返されたので、これは本当にミュージカルだからこそのヘンリーを私が受け取ったのかもしれません。

ここまで、人物のことを少し深ぼってみました。
お話のことも自分なりに解釈してみたいのですが、それは第二弾で書いてみたいと思います。

どの登場人物も愛おしく、一生懸命生きています。
あのミュージカルに登場する人々は、役名がなくてもみんな一人一人の人生が透けて見える演出と動きがありました。
改めて、すごいミュージカルだと書いてて思います。

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