初投稿。今日は鬱が酷かった日。
「一番辛いのは、キミだもんなぁ。」
それは紛れもなく、夫自身、彼に言い聞かせているようだった。
一番近くで、私の見せたくない、私自身が知りたくない姿を知っている夫。しかもそれを彼は全て、嫌でも記憶から消せないのだ。
精神的なアップダウンの波が、定期的に来る私。酷い日は、私自身、何を言ったか、何をしたのか、記憶があまり定かではない。まるで知らない自分を、もう一人飼っているようだ。
私が辛いはずがないじゃないか。
まともに夫に持たせるお昼ご飯のおにぎりさえ握れなかった自分に、怒りと後悔が湧き、泣いた。
昨日干したであろう掛け布団が、ベランダで揺れる。もうとっくに乾いているはずだ。
前のめりに焦る気持ちと、同じところでじっと動けず静止している自分は、少し離れたところから見ていると、滑稽だ。
いつからここにいただろう。
もう、目を瞑ってもどこに何があるか分かるくらい、ここには居すぎた。なんとなく飽きてきた気もする。
やたらと使いもしないリップを買うのは、本当は誰かと話したいからか、おしゃれをしたいからか?机の上のヌードピンク色のお気に入りのティントと、生理痛用の鎮痛剤は、何だか別世界のもののようだ。
夕食用の肉を解凍する。冷凍庫の下段に保存してあった豚肉の期限が、大分過ぎていたので捨てることにした。
こんな時いつも思う。世の中のお母さんたちは、みんな消費期限までに料理をして、美味しく食べ、片付け、きっと子どもまでいるのか。働いて、保育園へお迎えに行ったり、子ども用の、大人とは違うご飯を作るのだ。
私が、中に何もいないお腹の痛みに辟易する間に、ある人は躓き、ある人はまた前を向いて歩く。愛する人と共に生き、自分以外の命と出会う。きっと、良い涙も、辛い涙も流しながら、それでも前へ進むのだろう。
私は なんて空っぽなんだろう。
そうしている間に、肉は解凍された。レンジの中には、おそらく二人分には十分な量の肉。
本当は自分の分はいらなかった。今日一日食べなくても平気だろう。それでも作るのは、夫とサブスクの映画を観ながら食べる時間が好きだからだ。夫も好きそうだ。
それがいい。それが一番いい。
耳障りの良さとか、そんなの関係なく、夫が幸せなら、私も幸せだと思える。
人生という果実から、私は、人の時間をもぎ取り、金銭をもぎ取り、美味しい果肉をもぎ取り、人の優しさをもぎ取って生きてきた。
時には酸っぱくてどうしようもないものも。
そうやって、今日まで生き抜いてきたのだ。
それに価値があるかないかは、どうでも良かったはずだが…。
人間、あまり変に考えすぎずに「美味い、楽しい、気持ちがいい」。この3つだけを感じ取って生きる方が得だと思う。しかし、これ程難しいこともない。「人の迷惑になるから」「どう思われているんだろう」「私なんかが幸せになっていいんだろうか」
不思議なことに、人間、そう思うと、そうなるように出来ているらしい。「不幸になる」そう思うと、本当に惨めな道を、自分の意識しているところ以外の何かが、選んでしまう。
不思議だが、本当にそうらしいと最近気付いた。
そう言えば、カウンセリングからも、最近は自然と足が遠のいていた。「自然と」というのは、今、自分でこれを書いていて、自分で自分を欺いていることが分かっている。私は怖いのだ。カウンセラーの前でも、自分を曝け出して、泣いたり、みっともない姿を見せるのが、とても怖い。そして、自分の問題は、自分が一番分かっている。
あんなに好きだったベランダの花を、最近枯らしてしまった。雑草が生い茂る。水をやることすら、最近は億劫になってしまった。
夫からもらう切り花が、私は好きだ。
そんな風に思っていたら、夫が、淡い青色の、まるで綿飴のような紫陽花を両手に抱えて、仕事から帰ってきた。涙が溢れた。
これから私がしたいことは、ベランダの花をきちんと手入れすること。転勤したら、無理のない範囲でパートをすること。義父や義理の祖母に優しくすること。実母と仲良くすること。いつか、また犬を飼うこと。去年亡くした愛犬と同じ、マルチーズが良い。欲張りすぎるだろうか。
もう夕方の4時を過ぎている。
夕食の準備をしよう。
少し部屋も片付けたい。
外はもう、夏独特の、茜色に染まっている。