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AI君と記事を書いてみよう

 最近、noteにβ版としてAIアシスタント機能が搭載された。ChatGPTといい、SFが夢見た人工知能の世界はすぐそこまで来ているようだ。
 暗雲立ち込める21世紀だが、SFファンとしてはわくわくが止まらない時代である。私が死ぬまでに、加速度的な技術進歩の行きつく先をどこまで見られるのか、仄かに恐ろしいと同時に楽しみでならない。


 さて、今回はnoteのAI君(愛称はあるのだろうか)がどれほどの能力を持っているのか、そのポテンシャルを図るために、いろいろと試してみようと思う。
 筆者はSFファンではあるが、ド文系・プログラミングのプの字もわからない人間なので、一般的な使い方しかできないができるだけ試してみよう。


 それではまず、AI君にアイディア出しの手伝いをしてもらおう。キーワードを打ち込むことで、記事のアイディアを提案してくれる機能だ。
 キーワードの時点でいまいち思いつかないが、私は小説家を僭称するタイプの作家であるため、「小説」に関する記事のアイディアはないか、聞いてみることにする。

「AI君、『小説』に関する記事のアイディアはある?」

- 小説が映像化される際の注意点について考える。原作の世界観を忠実に再現することと、映画としての完成度を高めることにはどのようなトレードオフがあるのか。また、最近の映像化作品で成功した点や失敗した点を振り返り、その教訓を踏まえたうえで具体的な提言を行う。
- 文芸評論家、編集者、出版社担当者など、小説業界の関係者たちにインタビューを行い、彼らが語る「傑作」と呼ぶ小説にはどのような共通点があるのか、またどのような点が評価されるのかを調べる。その上で、これから小説を書く人たちへアドバイスを贈る。
- 一流作家たちが愛用する文房具、書斎のインテリア、執筆に欠かせないアイテムなどを紹介する。それらがどうやって作家たちの創作活動に役立っているのかを解説しながら、読者にも気分を高める「執筆のおとも」を提供する。
- ミステリ、SF、恋愛小説など、ジャンルごとに小説内で重要な要素とされる「設定」を分析する。どのような設定が読者の心を惹きつけるのか、その設定が本文中でどのように使われているのかを、実例をもとに考える。
- 「作家がこだわる描写」と「読者が好む描写」の違いについて考える。例えば、作家自身が感じているような細かい描写を余すことなく書いてしまった場合、読者が退屈してしまうことがある。作品の良し悪しを判断する基準に、作者と読者という二人のプレイヤーがいることを意識してアプローチする方法を考える。

 さて、AI君は色々とアイディアを出してくれた。
 まずは「小説が映像化される際の注意点」だ。しょっぱなからなかなか飛ばしたテーマである。人によってはトラウマを刺激されかねない。AI君は私に「具体的な提言」を求めているが、君は私を何だと思っているんだ。「具体的な提言」があるならば、数々の悲劇は繰り返されなかったであろう。

 次は「小説業界の関係者たちにインタビュー」だ。やはり、AI君は私のことを文芸誌の辣腕コメンテーターか何かと勘違いしているようだ。私のような弱小物書きがインタビューを申し込んだところで、鼻で笑われるのが関の山である。

 いちいち見ていると時間が足らないので割愛するが、AI君が出してくるアイディアは、どれも高レベルなように思う。設定が正確に分析できたり、作品の描写について正しくアプローチできるならば、私は今頃本の一冊も出していることだろう。
 或いはこのレベルの内容がある記事が書けないならば、広く文章を公開する資格などないというAI君のメッセージであるのかもしれない。耳の痛い話である。


 己の力量不足から目を背けて、次の機能を試してみよう。
 AI君の機能の一つに、記事の書き出しを提案してくれるものがある。
 「小説」などを打ち込むと、また高レベルなことを求められかねないので、もっと細かいテーマを指定することにする。私が好きな浮世絵師のひとり、「月岡芳年」についての記事を、AI君と考えてみよう。

「AI君、『月岡芳年』に関する記事の書き出しを考えて!」

月岡芳年は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本の浮世絵師である。彼は戦前、戦中、戦後の三つの時代を経験しながら、多くの作品を残した。月岡芳年の代表作として知られる「北国街道」は、日本の人々に広く親しまれている。また、彼は大正期に日本美術会の会員となり、日本の美術界に大きな影響を与えた。彼の作品は、美術史の上で重要な位置を占めている。月岡芳年の技法と作風は、現代でも多くの人々を魅了し続けている。

 はたしてAI君が提案する記事の書き出しがこれである。
 私は「月岡芳年」の名前のみを入力したのだが、AI君はちゃんと彼が浮世絵師であることを認識しているらしい。
 しかし、二文目からやや怪しくなってくる。「彼は戦前、戦中、戦後の三つの時代を経験しながら、多くの作品を残した」……? 戊辰戦争など、幕末の動乱をカウントするならば、月岡芳年が動乱の時代を生き抜いたことは確かだが、やや誤解を生みかねない一文だ。
 三、四文目はもっと怪しい。「月岡芳年の代表作として知られる「北国街道」」とあるが、私が調べた限り、「北国街道」というタイトルの作品は見つからない。少なくとも、「代表作」と呼べる作品ではないだろう。
 「また、彼は大正期に日本美術会の会員となり」とあるが、これは明らかな間違いである。月岡芳年の没年は明治25(1892)年であり、日本美術会の創立は戦後まもなくの1946年だ。どちらも大正期には存在していないのである。

 こうしてみてみるとAIの悪いところと言うべきか、あれこれ適当なことを言ってくるのがわかる。
 そのままAI君の書き出しを使って、記事を作ることは現状難しそうだ。


 それならば、AI君に私が入力した文章を校正してもらうのはどうだろうか。AI君の機能に「まちがいを見つける」というものがある。ちょっと試してみることにしよう。

 サンプルとして、私が以前書いた記事から数文持ってきた。AI君が「まちがい」を判定できるのか確かめるために、故意に誤字などを混ぜ込んでおく。ちなみに、今回実験台したのは以下の記事である(極めて自然な宣伝)。

 それでは、「AI君、この文章のまちがいを見つけて!」

 マヤ文明の地メソアメリカも、「青」の原料が乏しい地域にあたる。現在でこそ、メキシコは多様な降参資源恵ぐまれ、アズライトなどを産出するが、これらが認知・利用されたのはスペインによる植民地支配が始まって以降のことである。「コロンブス以前」と通称される、ヨーロッパとの交流が始まる以前においては、天然の「青」の安定供給は難しかった。
 そこで発明されたのが、今日「マヤ・ブルー」と呼ばれる合成顔料だ。
 この顔料の特徴は、なんといっても耐久性である。
 高温乾燥地帯が広がるメキシコの大地で、長らく忘れ去られていたマヤ文明の壁画たちは、昨日塗ったのかと見紛うような、鮮やかな「青」をとどめている。分析により、「マヤ・ブルー」は熱のみならず、水、酸、アルカリにも強く、極めて堅牢であることがわかっているいた
 この「青」を生み出す減量こそが、長年論争の的となった、悩ましい存在であった。

 太字にしている部分が意図的に追加した「まちがい」だ。以下の通り、

  1. 「鉱産資源」→「降参資源」

  2. 「恵まれ」→「恵ぐまれ」

  3. 「~わかっている」→「~わかっているいた」

  4. 「原料」→「減量」

としている。


 そして、AI君が指摘してくれた「まちがい」がこれだ。

  • 「降参資源」は正しくは「鉱産資源」である。

  • 「マヤ文明の壁画たちは」という部分で、文法的には「文明の壁画たちが」とする必要がある。

  • 「分析により、「マヤ・ブルー」は」という文中の「いた」という文字は不要である。

 まちがい1と3は、AI君が無事指摘してくれたとおりである。
 2と4は、残念ながら見過ごされてしまったようだ。確かに4などは見つけにくいのかもしれない。
 問題は二点目にAI君が指摘した、「マヤ文明の壁画たちは~」というところだ。

高温乾燥地帯が広がるメキシコの大地で、長らく忘れ去られていたマヤ文明の壁画たちは、昨日塗ったのかと見紛うような、鮮やかな「青」をとどめている。

 AI君的には、この文章は文法的に「長らく忘れ去られていたマヤ文明の壁画たちが、昨日塗ったのかと見紛うような、鮮やかな「青」をとどめている。」である必要があるらしい。
 確かにやや冗長ではあるが、問題ない文章であると私は思っていたので、激しく動揺している。
 いや、間違っていないと思うのだが。


 動揺を抑えつつ、次の機能を使ってみよう。
 なんとAI君には、「もっと読まれるように」という機能がある。これに従えばより多くのひとに記事を見てもらえるというのだろうか。
 これは使ってみるほかあるまい。
 今度も以前私が書いた記事の一部をサンプルに、AI君に助言を求める。かなり長くなってしまったので要約するが、富士山の祭神として祀られる、竹取物語とは異なるキャラクター性を持った「赫夜姫カグヤヒメ」に関する記事である。興味を持ってくださった方は、下記のリンクから読んでいただける。

 ではでは「AI君、この記事がもっと読まれるにはどうすればいい?」

 「比奈赫夜姫ヒナカグヤヒメ」譚の成立は、14世紀初頭以前と考えられているが、現存する最古の文献は断片的であり、その全容が解明されているとは言い難い。
 しかし、物語の根幹をなすのは、富士山の神であり、地域の神である「赫夜姫」の起源説話と、本地垂迹説に基づいた「大日如来=浅間大菩薩=赫夜姫」という図式である。律令期からつづく富士信仰の中で、時代ごとに富士山の神の姿は変化し続けたが、その一端を担ったのは「赫夜姫」であった。

 漢字表記こそ変動があるものの、「カグヤヒメ」の名を持つ神は、複数の文献に見られる。その時間的幅も存外長く、鎌倉時代末期から、最も新しいものでは幕末にまで残るのである。
 しかしながら、現在富士山の祭神となっているのは、記紀神話の神「木花咲耶姫」である。この矛盾の理由は何だろうか。
 植松氏は別の論文で、「カグヤヒメ」と「木花咲耶姫」が入れ替わった経緯についてもまとめている(植松 2014)。
 これによれば、「木花咲耶姫」を富士山の祭神とする最初の事例は、集雲守藤の『集雲和尚遺稿』で、慶長19(1614)年のものである。
 その後、元和2(1616)年には、林羅山が三嶋社に祀られる「大山祇神」と「木花咲耶姫」が父子であることに言及し、富士の祭神を「木花咲耶姫」と述べている。林羅山は「カグヤヒメ」の存在も認識しており、「カグヤヒメ」の伝承はより新しいものであると位置づけている。
 この現象の背景には、仏教勢力の腐敗に反抗した廃仏・崇神運動という、江戸幕府による宗教統制と、これに伴う学問潮流があると植松氏は論ずる。
 先述のとおり、「赫夜姫」信仰の基盤となっているのは、本地垂迹説や権現思想といった、仏教の要素が強い神仏習合である。仏教の衰退と同時に「赫夜姫」は凋落し、神道の隆盛に呼応して「木花咲耶姫」がその座を埋めたのである。

 現在、富士山の神として「赫夜姫」を挙げるひとはそう多くないだろう。「浅間大菩薩」ひいては「大日如来」と結びついている「赫夜姫」であるが、その信仰の性質としては、現世利益、特に「恋に迷うものが縋れば必ず救われる」という伝承が残っている。おわかりのとおり、修行により悟りを開くような「ホトケ」の信仰ではなく、人々に今生において救いをもたらす「カミ」への信仰であった。
 忘れ去られたかに思われた富士山の神、「赫夜姫」は、再び見いだされ、研究が進められている。先ほど引用した「富士山かぐや姫ミュージアム」では、「赫夜姫」信仰についての展示がひとつの目玉となっている。
 筆者もいまだ訪れたことがないので、いずれ展示を見に行きたい。

 上記に対するAI君の助言は以下の通りだ。

  • 読者が興味を引くタイトルを付けてみませんか?例えば、「富士山の神に隠された謎」とか、「富士山信仰の歴史に迫る」など。

  • 記事の最初に、「なぜ富士山の祭神がカグヤヒメから木花咲耶姫に変わったのか」という問いかけを入れてみませんか?読者はその疑問に答えがあることを期待して、記事を読み進めることができます。

  • 技術用語や学術用語はできるだけ避け、わかりやすい言葉で説明してみませんか?例えば「伝承」という言葉は、一般の読者にはわかりにくいかもしれません。「伝わる話」とか「伝統的な説話」といった言葉に置き換えることができます。

  • また、「赫夜姫」信仰が人々にもたらした利益や、恋愛にまつわる伝説など、読者が興味を持つポイントを積極的に取り上げてみませんか?- 最後に、自分自身が訪れてみたいと思う展示について、もう少し詳しく説明してみませんか?その展示がどのような内容で、どんな魅力があるのかが読者に伝われば、より記事が魅力的になるでしょう。


 書き出しを考えた時とは大きく異なり、AI君の助言はなかなか的を射ている。二点目の指摘は実際に、私も記事内で行っている(今回AI君に提出しなかった、記事の前半部分にある)。
 ツッコミどころとしては、「伝承」は学術用語か? というあたりであろうか。私としては、「説話」をよしとして「伝承」に難色を示すあたりに納得がいかない。
 とはいえ、今まで見てきた中で、最も有用な機能であるように思う。行き詰ったときなど、参考にするのもよさそうだ。


 それでは最後に、AI君にこの記事の文末のまとめを考えてもらおう。はたしてスマートに、記事を終了に導くことができるのか。AI君のお手並み拝見である。


「AI君、この記事の文末のまとめを考えて!」

 ……というオチをつけようとしたところで、noteのAI君の利用上限が来てしまった。noteに課金をしていない私は、月に5回しかAI君と遊べないのである。出力にまごついてリテイクしていたところ、課金を促すウィンドウが出てきてしまった。
 世の中金ということか。しょんぼりと落ち込みつつ、筆を置くことにする。

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