2度目のMBSR 8週間の旅を経て(2/3)
2度目のMBSRの旅。前回の記事で書いたように、とにかく集中的に筋トレのごとく瞑想を行う期間を持ち、日々の瞑想を当たり前のようにできるような状況をいち早く取り戻そう!というモチベーションで始めたこの8週間の旅。しかし、実際には全く思い描いたようには進んでいかなかった。。。
全然できないプラクティス
「前回MBSRに参加した時には問題なくできたから」、というそれだけの理由だけれど、なぜか私は日々のホーム・プラクティスをやることが自然に当たり前にできるだろう、と思っていた。そしてホーム・プラクティスは日々行うのが当然!というモチベーションをもって今回の旅に出発していた。
二度目で勝手もよくわかっていて、講師は大好きな早苗さんで、あらゆる意味で頑張れる要因は整っていると思っていた。少しストイックに自分を律し、ホーム・プラクティスを通じてマインドフルネスを日々に取り入れ、また多くの気づきの時間を自分に取り戻していこう!そんな気持ちで参加していた二度目のMBSR。
しかし、今回はびっくりするほど、そのホーム・プラクティスができなかった。
前回参加したときと状況が違っているのは事実だった。まだ1歳半になったばかりの次男はまだまだ日々の生活でいろんな面でサポートが必要だったし、こどもが二人に増えたことによって私が自分だけの時間を持つ、ということへのハードルは大きく上がっていた。また前回初めてMBSRに参加したウガンダ滞在時には仕事をしていなかったので、いまと比べて日々のタスクの量は驚くほど少なかったはずだった。
でも原因はおそらくそれだけではなかった。
ただただ、日々の体調が悪かった。MBSRを受講し始めて1月ほどの期間、私はずっと体調が悪かったのだ。そしてその不調としっかり向き合うことを避けていたように思う。不調な自分自身としっかり向き合おうとはせず、とにかく日々をやり過ごしながら、ただ仕事や家事をひたすらこなしていた。
恐らく「瞑想」、特にMBSRの中で最初に行うことになる「ボディスキャン瞑想」(身体に意識を向ける瞑想)を行うことが怖かったのだと思う。身体としっかり向き合う時間がその時起こっていた不調と向き合う時間となり、その結果不調の原因を探っていくことを想像すると、それがなぜだかとても怖いことのように思えていた。そうして自分の不調からは目を背け、ただ日々の生活を進めていくことを優先してしまった。
今からあの時のことを振り返ると、不調が始まったタイミングで通院したり、そのことについてMBSR内でもほかの方に打ち明けたり、早苗さんに相談したり、もっと早い時期からできたことはあったのかもしれないと思う。ただそれがその時にはできなかった。
振り返ればなんてことのないできごとでも、その時にはそれを「する」という選択を取れなかった。思えば人生なんて全てにおいてそんなものかもしれないのだけど。
Full Catastrophe Living
そしてプログラム4週間目が終わったあたりのこと。不調が続き、日々のプラクティスはできず、不調によって普段の生活の中でもなんとなく気分が上がらず、なんだかすべてに嫌気がさしてしまった。
毎日のホーム・プラクティスをやる時間は、予めしっかりとカレンダー上でブロックしているものの、なかなかその時間に腰を上げることができずにいた。ようやく腰を上げてプラクティスに向かっても、それは私がイメージしていた筋トレとは程遠いものだったと思う。
そんなこんなで日々の自分の中でのもやもやがたまっていき、不調に関してこれ以上放置することができないと感じ始め、ようやく通院を決意した。通院が始まってからは、色々と検査に追われ、それにより日々のタスクもどんどん蓄積されて行った。
プラクティスができていないことへのもやもやや、日々のタスクがたまっていくイライラ、こんな中でMBSRを進めていっていいものかという葛藤で、とうとう私はMBSRを一度お休みするという決断をした。
本来であればあまりお休みすることは好ましくないかもしれない。現に早苗さんのWebページでも申し込み時の注意事項として以下のように書かれている。
毎回のセッションを通じた体験的な学びを大切にしています。8回のセッションのうち、2回以上欠席なさることが事前にわかっていらっしゃる方は、次回以降のご参加をおすすめしています。
しかし、それでも休むという選択をした。早苗さんが私の休むという選択を心から尊重してくださったのは本当にありがたかった。『無理に自身を叱咤激励し続けて「休んではいけない!」と思わなくても良い、一度手放す選択、休むという選択を取ってもいいんだ』、と話してくださったことで休む自分を少し許せた気がした。
何もしなくてよいと解放された時
MBSRをお休みした週。その週は思い切ってプラクティスについては何も考えないようにして過ごした。ふと空いた時間があると「瞑想しないと」「せめて横になってボディスキャンだけはしようか、、」そんな思いがいつも頭を駆け巡っているものだったが、その週は本当に思い切って、「しない」と決めて過ごすことにした。その選択は私にとってはとても勇気を必要とする選択だったけれど、その選択によりいろんなものから解放された気がしていた。体調は相変わらずあまりよくはならず、元気いっぱいにはなれなかったけれど、何かを「しないと」と思う気持ちから解放されたのは大きかったと思う。
その週は思い切ってほかの色んなこともお休みした。仕事も最小限に減らし、家事も積極的に家族にお願いした。とにかくやらなくては、と背負っていたものをできるだけ手放して過ごすことにした。
やるかやらないか、という選択肢が出てきたときにはとにかくやらない、やらないやらないという選択を繰り返して過ごすことにした2週間を経て、私の中にはほんの少しだけ変化があった。
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