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かなしいきもち

今までで1番かなしいきもちに
なったのはいつですか?

私は祖父の癌発見から余命宣告から終わりまでです。一連の出来事は昨年冬から今年頭までのものなのですが、あっという間。
驚くほど短くて悲しいほどに濃い時間でした。
私は彼のすべてを全身で記憶したい、と思いながらもその手を自分からとることは何故か怖くてできませんでした。空想としてそこにあるだけでいい状況。病室から去り際に、母に言われて伸ばした手で、かつては大きくがっしりとしていた小さな手を握りしめて振るのです「またね」といって。
その時彼が振り返してくれてたのを知ってるのは、今では本当に私だけなんです。

「またね」
と声をかけることすら恐ろしくなるような時が近づいてきました。またってなんだろう、そんなことはかんがえなかったのですが、ただ言うのが怖かった。最後の時は私は泣いたままなにも言えませんでした。でも手はしっかり握り返してくれました。

「来たよー」
といって見たのは正に私が全身で記憶したくないものでした。私を見るといつも泣いていたのに、目の前にいるのに泣いていない。目は開いているのかな?手をぎゅっとしてもなにも返してくれない、けどまだ暖かい。
ここになって私は、温かさの与える力に気づいたのです。温かいなあと、それだけで震えるような涙が出るような叫びたくなるような弱々しい喜びがあったのです。

そんな温かさもなくなってしまって。
バタバタするけど何が正解かもわからなかった。
ちなみに心臓が止まっても数分間は耳が動いているらしいです。もっと早く、知りたかったこと。
凍てつく寒さ、本当に何かに刺されていたのかもしれないくらいの寒さ。一生忘れられないと思う。
ゆっくり眠っている姿。
信じられないというのが本音でした。帰ってこれてよかったね、本音でした。よく頑張ったね、本音でした。でもなんで私が泣いてるのに頭撫でてくれないの?本音でした。いつも私のことを1番に愛してくれていたのに、どうしてだろうという気持ちで一杯で、じんわりじんわりと涙がでました。

手をずっと握っていると体温が移りますよね?それで私はずっと手をやさしく握っていたのですが、それ、ほんとはもっとまえにするべきことでした。それはわかっていたのですが、ずっと握っているといつか握り返してくれるんじゃないかと思っていました。生きてるんじゃないかと何回も思いました。田舎の病院です。機械がおかしいとか、不思議なことが起こったっていいでしょう。全身を温めてあげたかったな。

初めてのお葬式
信じられないというか、お坊さんのお話が長すぎて長すぎて、意識が飛びました。ごめんねおじいちゃん、と思いながらも。
夜はなるべくろうそくが切れぬよう見守りました。最後の夜かあとしみじみ思いました。案外強く、生きてるんじゃないかな、と。
最後はそうです。
初めてでした。最後の顔合わせも、そこまでも現実味がなく、泣いてるまわりを見て泣きました。何もわかっていなかったから私は。
でてきました。
これが?という気持ちで、なにがなんだかわからなかった。
悪かった部分の骨は、色が変わるんだってねえ
足がほとんど色が変わっていました。あんなに元気に山にいっていたのに、半年まえは、3か月前は、2か月前までは。私は足の骨を、その部分だけ食べてやりたい気持ちでした。お前が苦しめたのかと。

どうしてこんなに愛に満ちた人がこういう目にあうのですか?

贔屓目を抜きにしても、本当に素敵な優しい祖父でした。地域の人から愛されていたのも伝わりました。自分が孫だと言えるのが大変誇らしいです。
本当に大好きな人です。
私のことを1番に愛してくれた人です。
最後まで最後まで、私のことを心配してくれた人です。
いつかまた会えるよね?と言ったら笑ってくれた人です。
あーやっぱり正攻法で人生をやらないと、笑ってくれないのかもしれない。
私がじいちゃんの孫だと言えるのが誇りであるように、私もじいちゃんの誇りであれたらいいな。

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