20年も取っておいた書類、母親なのにの呪縛、過去とさよなら、大変革していくわたしの未来
10月17日の牡羊座満月の時に「わたしが大きく変革して調和を取っていきたいことを、まさに深く向き合う夜だった」と書いた。
わたしはこの秋、20年間とっておいた大事な書類を捨てた。わたしにとっては大変革の始まりとなった。そして「母親なのに親権を持たなかった、母親のくせに出て行った」の呪縛から決別したいと心に決めている。
わたしは子どもを5人産んだ母親だけど、上の3人はいちばん上の子が小学校に入る前に育てられなくなった。離婚してもそれぞれが親として育てていく約束だったのにそれができなかった。いわゆる親権がある親の連れ去りだった。
2008年末の子を産んでからは無意識の中で、下の2人は自分と一緒に過ごし育てることができていて3人は育てられなかった、という罪悪感を抱いたままずっと生きてきたみたい。そしてその罪悪感は20代になった3人に会えた後、更に膨れ上がっていたと気づいた。
でも、いつまでも育てられなかった過去に思いを馳せてることは終わりにしたい。
過去に思いを馳せるのは終わりにしても
「この世の中に5人の命を生み出したこと自体が社会に貢献できているよ」と言ってくれた人がいて涙が出た。
また同じ境遇の人に出会った時には「母親が親権を持たなかっただけで偏見の目で見られても、早い時期から子離れしたと思って見守っていこう」と言ってくれてまた泣いた。99.9%の人が「母親なのに」と言っても0.1%でも共感・理解してくれた人がいてうれしかった。
過去に思いを馳せるのは終わりにしても、わたしの傷ついたこころに絆創膏を貼ってくれた人がいることは忘れない。
20年間も取っておいた書類、もしかしたら証拠になるかもと思っていた書類
ちょうど秋分の日が過ぎ頃、SNSの投稿でも「長年にわたって取っておいたものを手放してる」って書いてる方が多かった。
わたしも20年以上前から書いていたメモ、ノート、書類等をとうとう手放した!!そのメモやノートや書類というのは、2003年に離婚した頃についてや、その後わたしが子どもたちに会う為に、それから親権変更の手続きをしたりと家庭裁判所通いをしてた時の記録や、持ち家の登記簿、元夫に送った内容証明など。もしかしたら、いつか何かの役に立つかもしれないなどと思って、ずっと取っておいたものだった。
でもビリビリに破り捨てていたら「これって心にポッカリ穴が空いた当時の悲しい、悔しい、どうにもできないっていうネガティブ感情がぎゅって詰め込まれたような物なんじゃないか?」って思えてきた。
そうだとしたら、こんなのをこんな長い間取っておいたのはなぜか?
私の深い深い所に潜れた気がする。
「何かあった時の証拠になるだろう、役に立つだろう」とか「母親のくせに子どもたちを置いて出ていった」というデマに対しての私の反抗かも知れない。母親だけど、子どもたちと会えなくなってしまったし、会うためにいろん事をやっていたんだと、いつか子どもたちに?誰かに?認めて欲しかったのかも知れない。そんな感情の塊がここにずっとあったのかと思うと恐ろしい。
お互いに話し合って決めた親権と家族のかたちなのに「母親なのに親権持ってないの?」「子どもたちを置いてきたの?」とかそういう言葉に、わたしはとっても傷ついていたのだ。だから余計に、この手元にある書類を離さずに取っておいてしまったのかも知れない。
こういう過去とはさよならだ。
それにしても、今は子どもの親権を父親が持つという場合も増えているけど、いまだに親権を持たなかった母親はあれこれ言われる(特に母親の芸能人の方は親権を持たないことを報道されてることが多い)
父親は、父親のくせにって言われないのになっていつも思う。
大変革していくわたしの未来
「母親なのに」っていう考えそのものが、もうこれからの時代と逆を行っているのかも?って思っている。
これからの時代は、親子、家族だから、母親だからこうでなくてはっていうよりは、ひとりひとりの生き方が大事にされていくんじゃないだろうかって思う。
冷めた母親だろうか。こういう価値観が「母親なのに」って言われるだろうか。昔はこう思ったりして自分の思いを吐き出さなかった。でもわたし自身が【父親に会えなかった子ども】であり、父親が自分の人生を生きながらも離れて会えない子どものことを常に想っていたという愛を実感している。だから親子でも家族でも、血の繋がりがあろうとなかろうと、その土台に想いや絆があればそれぞれの生き方ができると思っている。もっと気楽に。
物質的なものも精神的なものもあれこれ手放して、大変革が始まったわたしはまさに気が楽になっている。