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【第1回〔全12回〕】How They Became GARO―“ガロ”以前の“ガロ”と、1960年代の音楽少年たち― 〈まえがき〉

◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta

1970年代を洋楽的で鮮やかなハーモニーとサウンドで彩ったポップ・グループ、<GARO / ガロ>(堀内護 / マーク、日高富明 / トミー、大野真澄 / ボーカル)。その結成以前のメンバーの歩み、音楽的背景などを、関係者取材をベースに詳細に追うヒストリー原稿です。全14回(予定)の連載記事。

まえがき――ガロの音楽のルーツをもとめて。

ガロ(1973年6月、ロンドンにて)。
左から日高富明、大野真澄、堀内護。〔提供:大野真澄〕


 瑞々しい3声のハーモニーと、ギター・サウンド。鮮やかで、ポップなメロディたち。そんな音楽を携えて、1971年のミュージック・シーンに登場した、GARO / ガロ。

 堀内護(マーク)、日高富明(トミー)、大野真澄(ボーカル)。

 この3人の作り出した、あの“ガロの音楽”は、いったいどのようにして培われて行ったのだろう?

 彼らを知り、そのサウンドやソングライティングに惹かれて行く中で、ぼくはそれが知りたくてしょうがなくなった。

 和製CS&Nと呼ばれたアコースティック・サウンドを振り出しに、時にシティ・ミュージックの源流、あるいはソフト・ロック、また時にパワーポップとも、プログレッシヴなロックとも――、今日、様々に評されるように、彼らの作り出した音楽は、歩みを追うごとに、じつに多彩な顔を見せていた。

 アコースティック一辺倒ではなく、エレクトリックのアプローチもあり、そして、その根底には、彼らならではの“ポップなテイスト”が、終始、貫かれていたようにも感じられた。

 さらに言えば、たとえばアコースティックのギター・サウンドだけとっても、彼らの奏でるそれには、いわゆる“西海岸系”と一口には括り難い、独特の蒼い響きが感じられるように、自分には思えてならなかった。

 ガロの結成時、メンバーに大きなインスピレーションを与えたことで知られるのはもちろんCS&Nだが――、ではそこからそんな多彩な魅力ある音楽に発展して行った、そのバックボーンにあったのは、果たして一体、なんだったのだろうか?

 突き動かされるままに、ぼくは様々な文献を読み漁り、手掛かりを探した。そしてその中でぼくはまず、ガロ結成のきっかけとして重要だったのが、1969年に上演され話題となった“ラヴ・ロック・ミュージカル”『ヘアー』へ彼らのうち堀内と大野の2人が出演したことだ、ということを知ることになる。さらに1970年にガロが結成されると彼らはその初期において、日比谷野音などの“ロック・コンサート”で活動するようになったのだ、ということも。

 つまり――、〈ガロ〉というのはそもそもは、1970年前後の東京にたしかに存在していた“ニューロック”の熱気と、『ヘアー』という水脈から、産声をあげたグループだった。ガロの71年のファーストと、72年のセカンドあたりに特に強く漂う、あの言葉にしがたい蒼い感覚はたぶん、そんなアクエリアスでピースフルな季節の“残り香”なのだろう。

 そして、さらにさかのぼれば、CS&Nに触発されアコースティック・スタイルに主軸を移す以前のガロのメンバーは、全員がエレクトリックなロック・バンド・スタイルで活動していたのだという。

 それでは、そこで演奏されていたのは、いったいどんな曲だったのだろう?これらはすべて、堀内、日高、大野の3人ともが、ティーンエイジャーから、二十歳を迎える頃までの、多感な時期の話だ。1960年代後半のことである。

 “ガロの音楽の秘密”は、そんな“1960年代”に多くが秘められているのではないか――。

 2001年に執筆した拙稿《How They Became GARO(彼らはいかにしてガロとなったか)》は、そんな探求心から書かれ、もともとは同年6月発売のポップス研究誌『VANDA』27号へ、縁あって掲載されたものだった。

 この原稿はガロ結成以前に堀内が在籍していた〈エンジェルス〉、そして日高が在籍していた〈ミルク〉、この2つのバンドのヒストリーを中心とし、その後、堀内・大野が出演した『ヘアー』を経て、ガロが生まれるまでのエピソードを、関係者への取材と、当時の資料などをもとに、時系列でまとめたものである。

 このうちの〈ミルク〉には、日高の友人であった若き日の松崎しげるが結成メンバーとして在籍していたことも知られている。

 今回ここにお届けするのは、その原稿をベースに、約20年ぶりに内容の見直しを行い、情報を追加し、全面的に書き改めた、2023年版の《改定版》だ。

 どんな場合でも、“その根となるもの”は大切だと思う。ここで話の中心に捉えたエンジェルスとミルクは、ガロのギター・サウンドを共に築き、それぞれオリジナル曲の多くも手掛けた堀内と日高のプロとしてのキャリアの、紛れもない原点だ。

 一見マニアックな話題に思えるかもしれないが、1960年代後半というロック/ポップスの黄金時代、当時10代の多感だった彼らが身を置いていたこの2つのバンドの歴史を軸に、周辺事情を調べ検証することは、その後のガロの音楽を理解する助けになるのではないか――。そんな想いが、この《How They Became GARO》という原稿の執筆の動機だった。

 オリジナル原稿の執筆の際は、準備の段階からガロ関係者の方々に大変にお世話になったが、特に、エンジェルス、ミルクの両方にキーボーディストとして在籍された鳥羽清さんに直接お目にかかる機会を得て、お話を伺うことも出来たのは幸運なことだった。

 鳥羽さんは両バンド解散後は加藤和彦と共同で設立したPA会社《ギンガム》の創立メンバーとして、数多のロック/フォーク・コンサートの裏方として活躍。ガロのステージの際にも初期より帯同し、76年3月に神田共立講堂で行われた解散コンサートでもPAを担当するなど、ある意味、ガロというグループを結成以前から最後まで見届けられた貴重な証人とも言える方だ。今回の改訂版執筆にあたっても、鳥羽さんにはメールという形ではあるが、再度のご協力を仰いでいる。

 さらに今回は、鳥羽さん同様に解散後、音響の世界で長年ご活躍されて来た、元・ミルクのベーシストである木下孝さんにも、いくつかの事実関係について、電話で証言をいただくことが出来た。木下さんの経歴については本文中であらためて触れたいが、“ジョージ”のニックネームで親しまれ、長く音楽関係者から信頼を得ている方だ。こちらからの突然の、不躾なお願いにも関わらず、疑問点について丁寧にお応えくださった鳥羽さん、木下さんには、本当に感謝のひと言しかない。

 そして、この20年の間には、元ガロの当事者である、堀内護さん大野真澄さんにも幾たびかに渡りお話を伺う機会を得、貴重なエピソードをご教示いただく幸運に恵まれた。今回の原稿では、そうした中でお聞きしたことも反映させていただいた。

 基本的に、エンジェルスに至るまでのエピソードは堀内さん、鳥羽さんの談話がもとになっており、ミルクについては鳥羽さん、木下さんの談話をもとにした。

 『ヘアー』以降については、大野さんに事実関係などをご教示いただき、大変お世話になった(直前で確認を兼ねての追加の取材もさせていただいた)。

 加えて、1960年~70年代の各種紙資料、また近年に至るまでの各媒体での関係者のインタビュー記事をわかる限り調査し、それらを参考に整理し、執筆を行った。

 とても悲しいことに、堀内さんは2014年、ご病気のため鬼籍に入られ、もうお話の続きを伺うことは叶わなくなってしまった。日高富明さんは1986年に早逝されており、日高さんの発言については数少ない過去のインタビュー記事を参照するしかなかった。

 振り返ってみれば『VANDA』に掲載したオリジナル版の原稿は、お読みいただくのも躊躇われるような稚拙な文章で、且つ、当時の知識不足、不注意から、いくつかの間違いや、説明不足も目に付くものだった。

 当時この原稿についてはささやかながら反響をいただいていたが、それだけにお読みいただいていた方に対し、間違いや説明不足をそのままにしておくことが気がかりだった。そんな気持ちをもう何年も抱えていたことが、改定版執筆に手を付けることになった発端だった。

 ただ、お断りさせていただかなければならないのは、いくつかのプライヴェートな事情の重なり、作業のさなかで起きた新型コロナウイルス禍の影響などもあって、いまだ十分な取材や資料調査が行えておらず、今回もじつは満足の行く改定版とはなっていないということである。

 だからといって言い訳して良いものでもないが、まだまだ、内容には多々至らない部分があると思う。しかし、前述の通り、誤りをそのままにしておくことに呵責を感じていることなどから、ひとまずは前回執筆時の誤りを訂正し、ある程度の内容のアップデートまで進めた、いまの段階での最新版、ということで原稿をまとめ、ウェブ上にて公開させていただくことにした。

 執筆にあたっては、前述したように複数の情報を比較し、精査を心がけたが、とりあげるのはそのいずれもが半世紀以上前という話題であり、物的証拠が残されていない場合も多く、また別の関係者からすれば見解が異なる事柄もあるかもしれない。どうか、そのあたりはご容赦いただけたならと思う。

 今回はエンジェルス、ミルクを話の中心としたこともあり、大野さんの『ヘアー』以前については記述が控えめとなってしまっているが、興味深いエピソードはすでに多々伺っており、その歩みの詳述は機会をあらためたいと考えている。

 冒頭で執筆の動機を“ガロの音楽の秘密”への探求心から、と書いたが、とはいえ、この原稿では絶対的にその答えを決めつけよう、というわけではない。これはぼくの見解、考察であるし、そこに記したエピソードから、お読みになられたみなさんにも、さまざまに想像していただけたら、と思っている。

 メンバー各人のすべての音楽的背景を網羅するものではないし、あくまでガロ以前の数年間の活動歴にスポットを当てたもので、それもまだまだ中途の段階での発表となり、途中、まどろっこしく、お読み苦しいところもあるかもしれない。

 しかし、ガロの3人、さらには、周辺の若者たちがどんな音楽を愛し、1960年代の日本のミュージック・シーンの変動の中で活動していたのか。そしてどのように次世代のポップ・ミュージックに足跡を残して行くことになったのか。そんな時代の息吹に、ほんの少しでも近づけていたなら、嬉しい。そんな想いも込めて、サブ・タイトルを“ガロ以前のガロと、1960年代の音楽少年たち”としてみた。

 そして、そう遠くない将来にこれを叩き台とした、もう一歩先の“完全版”の原稿を、何らかの形で発表出来たなら・・・。ひとり勝手な希望ではあるが、そう考えている。

2023年12月 高木龍太

※次回、第2回から本編がスタートします(全11回)。→第2回を見る

(文中敬称略)

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