POPTRAKS! magazine 閲覧室
音楽ライター、高木龍太が主宰するウェブジンの「閲覧室」です。原稿のアップはこちらで。
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【第10回】How They Became GARO―“ガロ”以前の“ガロ”と、1960年代の音楽少年たち―〈堀内護の音楽ルーツを探る(1969-1970)〉
◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta ■1969 → 1970 堀内護が好んだ音楽とは? さて、前回まででガロ結成前夜へと大分近づいたのだが、話を先に進める前に、今回から3回に渡り、”インターミッション”ということで、ここまでの話の中で納まりきらなかった、堀内・日高・大野それぞれに関する事柄いくつかを、触れさせてほしい。 流れを止めることは心苦しいのだが、それらの事柄はやはりその後の彼らの音楽を考える上では重要で、そこをスルーして先に進むわけには行かない気
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【第6回】How They Became GARO―“ガロ”以前の“ガロ”と、1960年代の音楽少年たち―〈ヘアーの章 / 1〉
◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta さて、ここまで時系列で 69 年までの堀内と日高の歩みを追い、ミルクの活動初期までを語ってきたのだが、ここでしばらく、話題はミルクから離れることになる。 というのも、ミルクというバンド自体の活動は絶えず継続されていたのだが、日高個人については 69 年の夏以降、数度に渡ってミルクからの短期の離脱と再合流を繰り返していたようであり、調べてみるとたしかにその期間、ミルク以外の活動をいくつか行っていることが確認できるからだ。
【第5回】How They Became GARO ―“ガロ”以前の“ガロ”と、1960年代の音楽少年たち―〈ミルクの章 / 2(承前)〉
◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta ■ソフトロック+アートロック=ミルク ミルクには活動を通じていくつかのオリジナル曲もあったようだが、当時のGSの多くがそうであったように、ステージ・レパートリーはやはり洋楽ナンバーのカヴァーがほとんどであったようだ。鳥羽、木下の証言によれば、それらの選曲は日高によるものが多く、次いで松崎だったようである。 こうしたカヴァー曲は原曲をストレートにコピーする場合もあれば、日高が中心となり、独自のアレンジを加えて演奏されるこ