GARO ARCHIVES*Extra〔1〕~証言/ 荒井由実「返事はいらない」へのガロの参加について
◎リサーチ・文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta
ユーミン=荒井由実が、ファースト・アルバム『ひこうき雲』(1973年)の前年に発表していた、デビュー・シングル「返事はいらない」(1972年7月5日発売)。
楽曲自体は両面ともにアルバム『ひこうき雲』にも収められているものだが、ここで聴けるのは、どちらもまったくのシングル用ヴァージョン。かまやつひろしのプロデュースで、アルバムとは異なる演奏メンバーが参加し、制作されたというものだった。
当時のシングル盤のジャケットでは、どちらもユーミン以外の演奏メンバーについては残念ながらノン・クレジット。だが、じつはこのA面の「返事はいらない」の方に、ガロのメンバーがギターで参加している、ということが、後年、関係者によって幾度か語られてきている――、というところまでは、すでに別項で触れた通り。
だが、悩ましいのはこの「返事はいらない」の具体的な演奏メンバー、担当パートについては、たとえば当時のレコーディング・シートなど、決定打となる1972年当時の紙資料が現存しないのか、今日語られている情報はどうやら、いずれも関係者の記憶に頼るもののようだということである。
それだけに誰が参加しており、またどのパートを担当しているのかについては、いまひとつすっきりとせず、リスナー間でもそれらの情報が混沌とした状態で認識されている、というのが現状でもあるようだ。
筆者としても慎重を期し、もう少し細かな情報が得られるまで、断言のような物言いは避けたいと思うが、そのレコーディング・メンバーについて、ひとまずは現時点で把握できている有力な情報を書き記し、整理をしてみると――、
まず、このバック・トラックのレコーディング時にスタジオに同席していたという大野真澄に筆者が訊ねたところによれば、当日は手始めに、日高、堀内、小原礼(B)、高橋幸宏(DS)、という、当時のガロのライヴでの演奏メンバーでもあった4人が核となって、ベーシック・レコーディングが行われた、とのこと。
一方で近年、ギタリストの鈴木茂が自身の著書『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』(リットーミュージック、2016年)で明かしたところによれば、そのベーシック録音終了後、同日かは不明だが、単独でスタジオを訪れた鈴木が<できあがっていたオケ(バック・トラック)にギターをダビングした>(同書より)、のだという※。
この曲では左右チャンネルにアコースティック・ギター(ストロークの感触や、ポジション・チェンジの動作からすると、同一人物によるダブル・レコーディングのようにも聴こえる)、左チャンネルにエレクトリック・ギターが聴こえるが、大野の記憶でも先のベーシックの録音時には“茂はいなかった”そうであり、そしてそのベーシック時には堀内、日高は“エレクトリックは弾いていなかった”、という。
つまり、これらの証言をもとに整理する限りでは、アコースティック・ギターがガロのメンバーによる演奏。そしてエレクトリック・ギターのソロは鈴木によるプレイ――、というのが現時点で最も有力な見方、ということになる。
しかし、その一方で、かつて鈴木の証言が出る以前は、ここでのエレクトリックのソロの方も「日高によるものではないか?」とする音楽ファンの声も、根強く囁かれていたようだ。曲中で耳にすることのできるギター・フレーズの手癖が、ガロのレコードなどで聴くことのできる日高によるそれと似ているから、という理由によるものである。
ただ、この意見に関しては、あくまでリスナー側の推測の域を出ないものであり、判断材料としては採用し難いものでもあった。
だが、かといって日高のエレクトリック・パートへの関与については、まったくありえない話というわけでもないのかもしれない。
こんな説がある。
これは日高に極めて近い筋から、とされる伝聞によるものだが、それによれば、アウトロのエレクトリックのアルペジオに関しては、じつは、かまやつからの“クリームの「バッヂ」風で弾いて”とのリクエストに応え、“後日”、日高がダビングで弾いたもの、というのである。
たしかに、複数ミュージシャンのプレイが混在しているという可能性もないとは言えない。あるいは、ダビングしたものの、最終的なミックス段階で日高のプレイは採用されなかった、ということもあるのかもしれない。果たして、実際のところはどうだったのだろうか。
いずれにしても、このアルペジオの件は直接の証言ではなく、あくまで回りまわっての伝聞(元は日高の談話らしいが)。現時点では、ひとつの異説として、参考という形でここに記しておきたいと思う。
なお、日高のレコーディング自体への参加に関してはユーミン自身、このシングルのギターは「ガロのトミー」だと何度か発言していたこともあり(1974年『ミュージック・ライフ』誌インタビューなど)、おそらく確実ではないかと思われるが、堀内の方の参加の有無については、筆者が以前、本人に訊ねた限りでは“それがね、憶えていないんですよ”とのこと。
しかし大野の記憶によれば、この時たしかに堀内も“いた”とのことであり、とすれば少なくとも当日、堀内もスタジオに足を運んではいたということにはなるようである。
このシングルにはほかにBUZZのメンバーが参加していた、という話もある(同じく前出『ML』誌などのユーミン発言)。
このように、謎が多く、今後のさらなる関係者証言が待たれる「返事はいらない」のレコーディング・セッション詳細。
だがしかし、詰まるところは半世紀以上前の話。なにか白黒をつけようと躍起になるよりも、まずは聴き手がこれらの情報をもとに各々に想像しながら、そこにある“音を楽しむ”べき、なのかもしれない。
末尾ながら、ここで聴けるアコースティック・ギターはストローク中心で決して目立つものではないが、開放弦を活かしたその音色は、全体にたしかに瑞々しい印象を与えている。
Special Thanks:大野真澄、堀内護
©POPTRAKS! magazine / 高木龍太
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