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相手を知るということ

日本語教師を始めて2、3年目のころ、10人ぐらいの初級クラスを担当していた。記憶が定かではないが、中国、韓国などのアジアの学習者に加え、ヨーロッパの学習者も混在しているクラスだったと思う。

ある日クラスに行くと、20代の韓国人女性が椅子に片膝を立てて座っていた。いつも明るく積極的でクラスを引っ張ってくれるような女性だ。しかし、授業を始めようとしても足を下ろそうとしない。

わたしが「ちゃんと座ってください」と言うと、彼女は「これは韓国のスタイルです」と少し不満げに言った。その当時、わたしは韓国女性の正式な座り方としてこんなスタイルがあることを知らなかった(椅子ではないだろうが)。そして、彼女の不満げな顔に軽くショックを受けたのだろう。「でも今は日本語のクラスですから」と自分の主張を押し通そうとした。すると彼女は、少し顔を赤らめ「私は日本人になりたくない!」と語気を強めて言ったのだった。

彼女の一言がぐるぐると頭を回った。その後すぐに彼女は足を下ろして座りなおし、いつも通り授業に参加したのだが、私にとって忘れられない出来事となった。

「私は日本人になりたくない!」。もちろんわたしは彼女を日本人にするつもりはないし、日本の常識を押し付けるつもりもなかった。彼女も本気でそんな言葉を言ったわけではないだろう。

わたしには「彼女を知ろう」という気持ちが不足していたのだと思う。人の行動には意味がある。意志的な行動であれ無意識的な行動であれ、それをするには何らかの理由がある。意志的にか無意識にかはわからないが、彼女は片膝を立てて座っていた。それに対する私の発言は、上から目線の頭ごなしだった。

多様な文化、習慣、宗教、価値観を持つ人々に対して、その行動の意味を知ろうとすることは大切なことだ。これは国籍に関係ない。特に自分がマジョリティーであるならなおのこと、そのマジョリティーの常識で物事をはかってはいけない。

もし、今片膝を立てて座っている彼女に会ったら、まず片膝座りの理由を聞いてみよう。そして、韓国女性の伝統的な座り方をクラスメートにシェアして、各国各地域の座り方、ついでに姿勢や視線についても聞いてみよう。きっと様々な「常識」が出てくるだろう。そうこうしているうちに、クラスでの適当な座り方が自然に決まるはずだ。

相手を知るということを教えてもらった出来事だった。

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