間違いを起こさない人間はかえって悪人だと思う。起こした間違いに対して、くよくよと悩むからその人は善人なんだと思う。
「遠くなかった?」
と、きみは訊いてきた。
3時間の道程だ。
遠くないはずはないけれど、ぼくは首を振った。
「移動時間が苦じゃないんだ」
「よかった」
と、きみは言った。
「移動時間には何をしていたの」
「いろいろだよ。本を読んだり、あとは、きみから勧められた通り日記を書いている」
「ちゃんと続いているんだ」
「続いているよ。内容はついてきているか、いまいちわからないけれどね」
「いいんだよ、内容なんて、気にしないでも。日記っていうのは、書くこと自体に意義があるものだから」
ぼくは、肯いた。
「で、気が向いたり、余裕があるときには、過去に書いたものを読み返してみるといいよ。これが案外楽しいから。
過去の出来事を反芻しているだけなのに、新しい発見に満ちあふれているのはどうしてだろう」
「それは、やっぱり、昨日の自分と今日の自分は別の人だからじゃないかな」
と、ぼくは答える。
「これは極端な例かもしれないけれど、昨日の自分が犯罪的行為をしたからといって、今日の自分やそれ以降の自分が同様の行為をのぞむとは限らないでしょう。ましてや、犯罪的行為をのぞんでしまう資質が、その人にはあると決めつけるのは、あたかも断定的やすぎないかな」
ぼくは、こう考えることにしたんです。
昨日の自分が罪を犯したとしたら、「罪を犯した」という事実だけが、今日の自分やそれ以降の自分にも引き継がれているだけであって、今日の自分には関係がない、なんら関係がないわけでは、もちろんないけれど、昨日の自分が悪徳だったからといって、今日の自分もかならず悪徳かといったら、かならずしもそうではないでしょう」
「善い人なんだね」
と、きみは言った。
ぼくは、黙っていた。
「善い人だから、そういうふうに折り合いをつけないと、生きていけない」
「善い人だったら、そもそもあやまちなんて起こさないはず」
「善い人だって間違えるし、間違いを起こさない人間はかえって悪人だと思う。起こした間違いに対して、くよくよと悩むからその人は善人なんだと思う」
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