自己紹介 2024年版
こんにちは。
宮澤大和です。
2018年にnoteをつかって「書くこと」を始めました。
noteをはじめたきっかけは、よく憶えています。
私は、もともと「書くこと」が好きだったんですね。
小学校の頃から、自分が書いたものを人に読んでもらって、それで楽しんでもらうことが好きだったんです。
絵本やマンガのようなものを書いては、友達に見せていました。
幸いにして友達も楽しんで読んでくれたので、私は継続して書くことに夢中になりました。
けれども、じょうずに絵を描くための才能は、残念ながら私には具わっていなかったため、絵本やマンガをつくることからはいつしか手を引いて、絵を描かないで済む小説や詩を書くことに没頭するようになりました。
その当時に書いていた小説のことは、おぼろげながらも憶えています。
私は日本史がとても好きだったので、日本史にまつわる小説を書いていました。
架空の武将を創作し、その人物を織田信長と戦わせたり、豊臣秀吉と仲良くさせたり、徳川家康と親戚同士になるように政略結婚をさせたりしていました。
もちろん、すべては私の妄想であるわけです。
私は、「書くこと」を通して、自分の妄想のなかに自分以外のだれかを招待していたのです。
演劇をはじめるまえは
演劇を始めたのは大学生になってからのことでした。
ほんとうは高校生の頃から演劇部に入りたいと思っていたのですが、新入生歓迎会で先輩たちが上演していた作品が退屈だったので、私は演劇部には入りませんでした。
でも、演じることであったりとか、人から見られることであったりとか、そういうことに興味を感じていたので、弁論部に入りました。
「弁論」のことを話すと、大抵の人はディベートをイメージしてくださるのですが、それは間違いです。私が弁論部でおこなっていた活動はスピーチでした。
私はわりと真剣に部活動にとりくみ、全国大会で文部科学大臣賞(全国第2位)を受賞しました。そのおかげで、大学受験の際に自己推薦入試という方式を選ぶことができました。まぁ、この話は本題から逸れ過ぎるので、またいつかにしましょう。
劇作家・演出家を志望するようになったきっかけ
大学に進んでから、私は演劇に没頭しました。
文字通りに没頭しました。
授業はほとんど適当に受けて、演劇をするためだけに大学へ行く毎日でした。
1年生の終わりに、自分が所属している演劇サークル以外の作品にはじめて出演できることになりました(演劇の世界では、自分が所属している団体以外に出演することを「客演」と表すことがあります)。
演技がじょうずであったり、コネクションをつくるのがじょうずであったり、とにかくなんらかの強みがある先輩たちが次々と客演をしているのを見ていたので、
「私もいずれは客演をするのだ!」
と心に決めて、それを目標にしていました。
ですから、当時の私は、つねに観客席を意識していました。今日の客席にもしかすると演出家がいて、「ぜひともY***くんに出演してもらいたいのですが」とオファーをしてくれるかもしれない、って本気で思っていました。
それくらい私は痛いやつで世間知らずなやつでした。
けれども、ほんとうにオファーは来たのです。
結果、通例よりも早くに客演をすることができるようになりました。
客演先では、また、今日の客席にも演出家がいるだろうと仮定して、一所懸命に演じました。それから、同じ客演先から再度オファーをいただけることを目標にして、稽古に参加し、親睦を深め、本番を演じきるようにしました。
気づけば、大学の枠を越えて、演劇をするようになっていました。
枠を越えれば、さまざまな作風や創作のスタイルと出逢うことになります。
ひと口に「俳優」って言っても、ほんとうにいろいろな俳優がいるんだなぁ、ってことにも気づくことができたし、演技のうまい/へたを一般的に定義することはできないんだ、っていうことにも気づいてしまったのです。
私がこのことに気づかないでいられれば、今でも楽しく俳優をやれていたのかもしれません。けれども、気づいてしまった以上、純粋に俳優を楽しむことができないようになりました。
この作品において、演技のうまい/へたの基準はどこにあるのだろう?
その基準と、この作風は合っているのか?
セリフを効果的に響かせるために、足りないのは俳優の努力だけではなく、そもそもセリフ自体(もっと言えば、台本そのもの)に問題点があるのではないか。
そのうえ、この作品における演技のうまい/へたの基準が、その問題点をなおも複雑にしているのではないか?
稽古をしていてもそんなことばかりを考えるようになってしまったのです。
自分の演技をどうこうするというよりも、「私が劇作家だったら……」、「私が演出家だったら……」なんてことばかりを考えて、だれからも求められていないのにプランニングをするようになっていました。
「こんなでは、俳優なんてできっこない」
と思いました。それに、「私が劇作家だったら……」、「私が演出家だったら……」なんてことばかりを考えているのは、なんだか、私がこれから演じようとしている作品の劇作家や演出家にけんかを売っているみたいだったし、ある種の裏切りをしているみたいで、居心地がとても悪かったんです。
「この思いに、けりをつけないことには、私は俳優を続けることはできない」
そう思って、私は自分で台本を書き、自分で演出をしてみることにしました。大学2年生の秋の話でした。
台本を書きはじめた頃
台本を書くのはとても楽しい作業でした。私はいつも大学のPCルームにこもってそれを書いていました。
ひとつ講義が終われば、次の講義がはじまるまでのあいだ、台本を書きました。作業に集中できているときは講義に出席するのも億劫になってしまって、たびたび欠席をしました。
家に帰るのも面倒になって、PCルームで夜を明かした日も何度かありました。
でも、そんなに根を詰めて作業をしていたわけではなくて、調子の乗らない日にはPCでネットサーフィンをしたり、ドラマや映画を見たり、気分転換もかねて講義に出席したりしていました。
すると、自然にアイデアって、浮かんでくるものなのですよね。
台本は年内にはおおかた完成していました。
私ははじめて劇作家と演出家を担うのだから、サークルのみんなが安心することのできるなにかしらを提示しなくてはならないと思っていました。
だから、通常よりも早い段階で台本を仕上げ、通常よりも早い段階で企画書を作成したのです。
できあがった台本を、信頼できる何人かの先輩や同期たちに見てもらいましたが、ただただ肯定されるだけでした。
「これは、面白いと思う……」
そのときはとても嬉しかったです。嬉しかったのと同時に、(ほんとうにくそ生意気なやつだけど)当然だろうと思いました。
膨大な時間をかけて、書いては直し、書いては直しを繰り返したのだから、面白くないはずがないじゃないか!
私は「無知な自信家」でした。
今振り返ってみると、反省することも、思わず赤面してしまうような思い出もたくさんあるのですが、後悔はしていません。
むしろ、当時は楽しかったなぁ、って思うんです。
なんだかよくわからないけれど、どうしてあんなに自信があったんだろうって考えるんです。
おそらく今よりも知らないことがたくさんあったから、自信だけは過剰にもつことができていたんだろうなぁと推測することができます。
たぶん、ビギナーズ・ラックっていうのはそんなふうにして起こるのだと思います。
ビギナーズ・ラックを起こすには、ものごとをはじめてからの1年間〜3年間でどれだけ速く走れるかが鍵になるんですね。
股関節が脱臼するかもしれないし、腰をわるくしてしまうかもしれません。
そうなればもう二度と走ることはできなくなるかもしれません。
けれども、ビギナーであるあいだにどれだけ危険を冒して、どれだけ加速できるかによって、どれだけ遠くへと跳躍できるかが決まってくるわけです。
演出家になりはじめた頃
台本に関しては肯定され続けたけれども、企画書についてはいろいろと指摘を受けました。
私は、「はいはい」と言いながら、指摘された箇所をなおざりに直していきました。
「私にとっては作品をつくりだすこと」が最大の目標であり、その目標さえ達成できれば、あとはなんだっていいのだって考えていたのです。
これは大きな間違いでした。
私は、「はいはい」と言いながら、指摘された箇所をたしかに直したけれども、直したのは企画書の文面のみで、私の内面までを更新しようとはさらさら思ってもみませんでした。
公演はぶじに上演されました。
現在でもそうですが、私は拙い演出家です。劇作家としては、自身に才能を感じておりますが、演出家としてはまだまだ稚拙です。
でも、稚拙であるということはそれだけ伸びしろがあるということです。
あの頃の反省を活かして、他人からの指摘を真摯に受けとめて、外面だけでなく自分の内面も、目指すべき姿へ少しでも近づくことができるように更新させていきたいと思っています。
精進します。
というか、精進するしかないのです。
私は、人生っていうのはつまり修行なんだと思っています。
どれだけ優しくなれるか。
どれだけ強くなれるか。
「ほんとうの強さというのは、優しさのことをいうのだよ」
これは見知った決まり文句ではありますが、本質を突いているとは思います。
だけれども、じゃあ、強さと優しさをあわせもった状態を具体的にイメージすることはできますか?
そして、その具体的イメージを自分自身の立場に置き換えて、さらにイメージを具体化させることはできますか?
と、自分に訊くと、「それはとても難しいことだ」と返ってきます。
強さと優しさをあわせもつことが、ほんとうの強さであるとは言葉でわかっていても、それを自分で体現するのはとても難しいことなのです。
もしかしたら、一生を懸けても体現することなんてできないのかもしれません。
だからといってあきらめるのではなく、少しでもその状態に近づき、その状態を引き寄せることを目標にして行動をし続け、研鑽を積み、知識を蓄積していく……だから人生は面白いのだし、だからこそ人生は修行なのだ、と思うのです。
ビギナーズ・ラック
私がなぜ演劇をやっているのかというと、もともとは「演劇という媒体を通じてでしか、自分が創作した文章を発表することができないから」が最大の理由だったのだと思います。
と思います、と書いたのは、当時はほんとうにがむしゃらにやりたいことをやっていたっていうだけだったので、「なぜ演劇をやるのか?」に応答する理由なんて考えなかったし、考える必要もなかったのです。それがビギナーであることの強みです。
しかしながら、3年以上が経ち、ビギナーズ・ラックの効果が次第に薄れてきたのちには「なぜ演劇をやるのか?」なんて問いに真正面から向きあおうとしてしまうものです。
よせばいいのに。
そんなことをしたところで、適確な答えなんて見つかりっこないのに。
少しでもビギナーズ・ラックの効果を長引かせたいのならば、私からアドバイスできることは、
「なぜそれをやるのか」
なんてことは極力考えないようにすることです。
私は自分の行動を振り返って、反省することを重んじ、つねにそれを実践していますが、「なぜそれをやるのか」というふうに根源的に自分に問いかけることと反省することは違います。
反省は、後ろを振り返る行為ですが、前へ進むために後ろを振り返っているのです。
対して、「なぜそれをやるのか」などといった根源的な問いには行き着くところがありません。
強いて言えば、自己の深部へと導かれます。
ある人は、そういった根源的な問いにこそ価値があるのだよ、とさとすみたいに言ってくるかもしれませんが、わるいことは言いませんから、決して真に受けないほうがいいです。
あなたもすでにご存知かもしれませんが、自己の深部へと潜っていくことは、ほんとうの意味で、ひとりっきりになるということなのです。
ほんとうの意味での孤独になるということなのです。
それはとてもつらいことです。
眼の前にだれかが物理的に存在していたとしても、精神的にはあなたのそばに寄り添ってくれる人はいないのです。
自己の深部へと潜るというのは、そういうおそろしい行為なのです。
ですから、わるいことは言いませんから、やめておいたほうがいいです。
だいいち、そういった根源的な問いにこそ価値があるのだよ、と訳知り顔でのたまう人間っていうのは、ほんとうの意味でひとりっきりになったことがない人間なのです。孤独を経験した気になっているだけです。
そのひとしきりのつらさを経験した人は、決してだれかに奨めようとはしません。
長期戦を見据えて
さて、そのようにして私の、演劇にまつわるビギナーズ・ラックは終了しました。
大学生の時分から演劇をはじめて、もう10年以上が経っているのですから、いくらなんでも「ビギナー」とは名乗りがたいですよね。
けれども、この業界では、私くらいの年齢だと、いまだ「若手」と呼称されるのですから、まだまだ先は長いなぁ……と思います。
先は長いのですから、長期戦のつもりで、戦いを継続していくために自分の足もとをしっかりと固めておく必要があるよなぁと考える今日この頃です。
創作のアイデアは毎日のように浮かんでくるけれど、それをすべて演劇にして上演していたら体力も財力ももちません。
長期戦のコツは、とにかく持久することです。
そして、「ここぞ」というときに動いて、力を発揮し、成果を出すことです。
演劇をはじめたばかりの頃の私には、自分が創作したものを発表する媒体が演劇しかありませんでした。
しかし、現在の私にはnoteがあります。
noteで創作を発表していって、PDCAをまわしていって、「ここぞ」というときにはいつでも動けるようにしておく。パフォーマンスを発揮できるようにしておく。かならずや成果を出せるようにしておく。そんなことに留意しながら、今後もnoteを書いては更新していきますので、よろしくお願いします。