
「やめて」と言うのはもうやめて
「やめて」と僕が言う。それでもあなたは行為をやめないかもしれない。だからこそ僕は言う。「やめて」と。
そこには期待のようなものが含まれている。もしかしたらあなたはやめないかもしれないという期待が。
これからは、いち度きりの「やめて」で、あなたが行為をやめてくれるのだとしたら、僕は逆に味をしめるだろう。じぶんの意に沿わないことにはすべて「やめて」を突きつけるようになる。
いや、それとも「やめて」ということばが持つ力は、削がれるだけ削がれてしまって、そもそも誰も「やめて」なんて言わなくなるのかもしれない。
「やめて」は時折「もっと」の裏返しでもある。つまり「やめて」が滅びれば、「もっと」も滅びる。
「『やめて』と言うのはもうやめて」と思い出したように誰かが言う日はふたたびやってくるだろうか。いち度きりの「やめて」の世界はひどく退屈だ、と僕は思う。
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他人が嫌がることはしてはいけない。ひとのきもちになってものを考えなければならない。
これらのことばがある種の効力を持っていた時代は、それができかねることであるという前提があったのだと思う。
平成とはそういう時代だったのかもしれません。昭和と令和の過渡期。
僕は昭和生まれではないからわからないけれど、「昭和はなにもかもががさつだった。でも勢いだけはあった」と、昭和に生まれ、昭和に修行を積んだ職人さんが語るのを聞きました。
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浅草から、東京スカイツリーを目指して歩いた。特急スペーシアが鬼怒川を目指して走っていった。僕は歩行者専用の鉄橋を渡りながら、その様子を眺めた。
程なくするとミズマチという商業施設に着きました。目の前の公園はたくさんのひとで溢れている。
清潔で健康的に管理された公園をみて、僕は「令和っぽい」とつぶやきました。そこで僕は思いました。僕にとっての令和とは、清潔で健康的に管理されている様なのだと。そしてはじめて豊洲市場に足を運んだときの違和感が、ありありと、甦ってきたのです。
「なにもかもががさつだった。でも勢いだけはあった」。築地市場が懐かしくなった。
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