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演劇の方法論をつくってみること (2)

僕が今、演劇について考えていること。その序文、『演劇の方法論をつくってみること』の続きです。僕は演劇をつくるときに、「書くこと」で得られた自分自身の実感を応用して、演出していると思うんです。だから、この序文では、戯曲を書く僕の姿勢にどういう変化があったのか、触れてみることにしています。

https://twitter.com/yamatomyzw/status/1624648201793052673?s=20&t=tZ-a4IfEQY9r8zZo4NJ95Q


『No. 1 Pure Pedigree』は、2020年に実施予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、翌2021年に上演延期を決定。私が方法の過程についてを書こうとしていたのは2021年に『No. 1 Pure Pedigree』を創作している折のことでした。


しかし、ひとつの作品を演出しながら、そのボリューミーな書きものにトライすることは当時のわたしには——もしかしたら今のわたしにも——とても難しいことでした。

当時のわたしにはいまだ「自分の書きかた」をつかみとることができていなくて、たった1,000字の文章を書くために多くの時間を費やしているような状態でした。

言葉を書く、ということに神経質になり過ぎている時期でした。そうした私の神経質さが、私に戯曲ではなくて詩を書かせていたのだと思います。

とくに『No. 1 Pure Pedigree』という詩集は神経質さの結晶、という感じで、まさに神経が張り詰めている様子を、内容を読まずにパラパラとページをめくっていただくだけでも感じ取ってもらえると思います。


2022年まで、もの書きとしての私が継続しておこなっていたのは、自身の神経質さを融解していくことでした。「流れるように文章を書けるようになること」が目標だったのだと思います。

神経を研ぎ澄ませて一言一句にこだわるのではなく、少しだけ脱力して自然に文章を書き連ねてみること。初めて手応えを感じられたのは、『No. 1 Pure Pedigree』の次に書いた作品『 楽 園 迫 る 』でした。

『 楽 園 迫 る 』は、3つのシーンからなる台本だったのですが、1つ目のシーンを私は手書きで書きました。これはアレン・ギンズバーグという米国の詩人に影響を受けて書いた詩でした。

自分のうちにある獣性、あるいは血液のようなものを文章に乗せるためには手書きをする必要があるのだ、と僕は直感したのだと思います。

しかし、2つ目のシーンと3つ目のシーンはまたPCで書くことになる。ちなみに、2つ目はAppleのPagesというソフトウェアをつかい、3つ目はMicrosoftのWordをつかいました。

2021年にiMacを購入してから、WordよりもPagesをつかうようになっていました。しかし、締め切り前日まで、3つ目のシーンは白紙のままでした。これではいけない、なにかしらの行動を起こさなくては、とエディターをPagesからWordへ切り替えたのでした。すると、ふしぎなことに、すらすらとシーンがほとんど一筆書きするみたいに生まれていきました(でもあれ以来は創作でWordをつかっていない)。


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今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。