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品位の心がけ

当時を振り返って(記事へのひと言コメント)
言葉へのこだわりがわりに強いほうだから、わかりづらい(難しい)言葉を、わかりやすい言葉に置き換えてしまったときに生じる微妙なニュアンスの「ズレ」ばかりに気がいってしまって対話を進められなくなる、という症状が、僕にはある。ケースバイケースで柔軟に対応したい…

新しい文体。連ツイしていくときのあの感覚をイメージして 振り返りnote 2月18日〜24日


テレビは苦手だ。テレビニュースはもっぱら特殊詐欺事件と「気球」についてを報道し続けている。

一方、僕の関心事はChatGPTにある。この1週間くらい、ChatGPTやAIに関するnoteばかりを書いてきた。

ChatGPTについても、テレビはきっと報じているんだろうけれど、たぶん「よくわからない怪しいもの」として処理されているんだろうなと勝手に想像する。

そして、「よくわからない怪しいもの」からは議論が発展しない。肯定派と否定派とに大衆が簡単に分かれてくれない。視聴率が上がりづらい。だから、白黒はっきりした問題ばかりをテレビは取りあげる。僕はそんなテレビが苦手だ。


じゃあ、どうやってニュースを仕入れているのかというと、これまではもっぱらラジオだった。そこに新たに購読し始めた新聞(日本経済新聞)という媒体が加わった。

同世代に聞くと、Twitterでニュースを仕入れていると言う人も多いけれど、僕はそれをしない。TwitterやあらゆるSNSは広い意味でエンタメの場なのだ。そこで語られる報道にはまるで昼下がりのワイドショーのような下劣さがある。と僕は思う。

現代では、情報をきちんと解釈することのできない受信者よりも、情報をわかりやすく提示することのできない発信者のほうに非がある、という論調が強い。しかし、僕は思うのだけど、事象を高精細・高解像度で捉えた情報とは往々にしてわかりづらいものなのだ。わかりやすい情報というのは、そうしたわかりづらいものを薄めて薄めてつくった希釈液のようなものである。僕はそういうものは下劣だと思う。はっきり言って、品がない。

現代において、なによりも大切なものは、品位だ。エレガンスだ。できるだけきれいに食事をするようにする。食卓を立つときには、自分が座っていた椅子をテーブルの下に押して戻すようにする。簡単に言えば、品位とはそうした心がけと実践のなかで醸成される。背筋を伸ばすようにする。きれいに歩くようにする。自分を客観的に見たときに恥ずかしくないように管理する。つまり自意識のことだ。おれのことなんて誰も見ていない。でも、おれはおれのことをちゃんと見ている。


バーチャルでいろいろなことができるようになって、人間自体の品位というものに目を向けられることは、今後ますますなくなっていく。けれども、自分が人間である以上、品位を放棄したらいけない。

外に出ても恥ずかしくない格好にきちんと着替えること。人と一緒にいるときにスマートフォンを見ないこと。そんな当たり前のことが、合理性という観点だけで必要/不必要な慣習として判断されようとしている、現代は危ういと思う。

確かに、たいしたことではないのかもしれない。品位を失ったとて、人はべつに生きていける。けれど、品位を欠いてしまった人生からは幸せを感じ取ることは難しいだろう。良い仕事をするために、この心がけを実践していきたい。


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宮澤大和
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。