ミュージカル好きが実写版『美女と野獣』におもうこと
前回noteで、2曲も『美女と野獣』からの楽曲を推してしまうくらい、ミュージカル『美女と野獣』は完成されていると信じているわたしですが、
2017年に公開された実写版『美女と野獣』について、3つおもうことを書きたいと思います。(「今頃?」と思われると思いますが…)
1. モーリス(ベルパパ)は、キテレツ科学者であってほしい!
わたし、舞台版のモーリスが大好きすぎて…
実写版では、モーリスは芸術家となっています。おそらく、アニメ版が、モーリスやル・フウ(ガストンの弟分)を、よく言えばコミックリリーフ、悪く言えば頭の足りない嘲笑の対象とされるキャラクターとして描かれているところを、現代的に意味を持たせよう(脇役にも深みを出そう)としたのだと、推測します。
ル・フウには、ガストンを追う理由が示されるとともに、モーリスには、より尊い父像や家族の絆が付与されたと思います。それはいいことです。
が!
キテレツ科学者であることで、
街の人々はベルをおかしな子と言う、ベル親子はそう思わないことに対する判定が、観客にとってふわふわした状態で話が進んで、最後には観客全員がベルはおかしな子じゃないと思える素敵な展開だとおもうのですが、
実写版だと、最初から「ベル親子こそ至高」くらいの勢いでガストンを否定しにかかるので、「さすがにガストンかわいそうすぎん?」と思ってしまうのです…
(冒頭のガストンのヴィランさは、たかがナルシストで、冒頭はベルも「うざ…」くらいの感覚だと思うのです。悪だくみあたりからしか、なじり倒す要素がないと思うのです。私にとっては、アナ雪で『とびら開けて』くらいから、アナがハンスを、駆け足気味に「あなた悪い人!」よばわりし始めた感覚…)
と、アニメ版・舞台版ともに、モーリスって本当にどうしようもなくて、
ベル目線でいくと、
パパが、森に行ったら迷子になって、檻に入れられていて。身代わりになって助けても、街で精神病院に幽閉されそうになっている。
やばすぎます…
でも、終始、娘をとても大事に思っていて
ラストシーン、街の人たちが野獣を襲撃しに行って、本当の、本当にピンチの時に…
やっとパパ発明の謎メカが役に立つんですよ!!
美術家のパパには、これはできまい!!
むしろ、この設定なしでいく判断をしたのが私はすごいと思うのです。
下げからの、上げがすごいモーリスの魅力が皆さまに伝わってほしいです…
2. 野獣が、字を読めるのはちがう
これは…ちがうと思ってしまうのです。
冒頭のナレーション(←大好き)で、野獣がいかにクソ王子だったかが、情報としてある意味もないですし、
それなりに王子様教育されて頑張っていた人が、魔女に、より貴きを求められる、ハードモード感がすごい…
私的には、野獣はもともとガストンサイドの人間で、ベルとの出会いによって、変わった人(野獣)と変わらなかった人(ガストン)の差だと思うのです。(対峙シーンがアツいですね…)
と、ベルが野獣に惹かれる理由が、「教養のある人が教養のある人に惹かれた」になりません?
そうではなくて、野獣に素直さと不器用さをみて惹かれていくと思うのです。ベルは野獣の中に王子をみるのではなく、人間をみるのだと思います。その発見を助けるのが、図書館での読み聞かせシーンです。激推しの大好きなシーンです。
だから、そのシーンが無意味になってしまう、野獣のリテラシーが嫌なのです…
わがままですみません。
3. それでも、いい曲をありがとう
ここまで、散々けちをつけてしまいましたが
“How does a moment last forever?” と“Evermore”という素晴らしい曲を聞く機会をくれて、ありがとうございます。
“How does a moment last forever?”は、フロリダのディズニーワールドへ行った際、たまたまショー冒頭で、聞けました。その演出がとても素敵で、観客の中から父娘を舞台にあげて、俳優さんが歌う中でお父さんから娘さんにバラをプレゼントするというもので…
ほんとに素敵すぎました…
“Evermore” については、舞台版の“If I can’t love her” が特に大好きなので、「野獣のソロ曲は一択だ!」と思っていたのに、好きな曲が増えてしまって困りました。
以上です。
同じタイトルでも、別作品をみることで、より作品愛が深まるなぁとしみじみ思います。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
※noteを使いこなせておらず、引用•参照などが不適切な部分、ご容赦ください💦