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短歌五十音(わ)渡辺松男『牧野植物園』
「渡辺松男自選百首」から
『ねむらない樹』vol.8に「特集 渡辺松男」が組まれている。『牧野植物園』刊行以前のもので、自選百首があるのでまずはこれを読んでみよう。
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
むくむくが良すぎる。たしかに人間は地球の吹き出物かもしれない。でもむくむくかなぁ。むくむく。むくむく。うーん、人間以外、たとえばキノコから見るとそうなのかもしれない。
ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある
なんていい歌だろう。母が小さく醜い青虫にたとえられたのか、と思いきや、青虫の見た目はほのかに愛らしく、青虫はいずれ蝶になることに気づく。そんなきれいな青虫にも一生があり、だから母の一生はその何倍も素晴らしかったのだ。
日傘ひらけばどこかで誰かがひっそりと死にてまぶしい日傘の外は
とても整った歌だ。「どこかで誰かがひっそりと死にて」「まぶしい日傘」という似た言葉を塗りかさねる表現は短歌っぽくていい気分になる。もちろん非常に技巧的な歌で、なにより響きがいい。そう、生きたいから日傘を差すのだろう。
ひまはりの種テーブルにあふれさせまぶしいぢやないかきみは癌なのに
向日葵は夏っぽくてまぶしいから、もちろん向日葵の種もまぶしい。でも種だから、命の形をしているからまぶしいんだろうか。種を撒くきみは癌にかかっている。なんてまぶしいのだろう……。死を詠んだ歌なのに夏らしい。
『牧野植物園』へ
渡辺松男は1955年生まれ。岩田正・馬場あき子夫妻に師事し、斎藤史・前川佐美雄らの影響を受ける。第一歌集『寒季氾濫』で現代歌人協会賞を受賞、筋萎縮性側索硬化症の発症を経て第七歌集『蝶』で迢空賞を受賞。今回とりあげる『牧野植物園』は第十歌集にあたり、書肆侃侃房から2022年に刊行された。渡辺はこの歌集で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。
渡辺松男氏の歌集「牧野植物園」は、生活風景から宇宙の神秘をたぐり寄せる。奔放にして特異な想像力はこの歌集で一段と研ぎ澄まされ、生命世界への先進的な視点を創り出すことになった。その文学性と精神性の高さは現代詩歌の一つの極点を示すものであり、芸術選奨の授賞対象にふさわしい。
一目見てとてもきれいな歌集だと思った。牧野富太郎の植物画を思わせる表紙が美しい。キク科のシナヨモギを描いたもので、Walther Otto Muller(1833-1877)というドイツの植物学者によるものだという。同じ画像をネットで閲覧することができる。
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表紙をめくると苔色の見返しがあり、さらにめくると標題が現れる。目次も端正で、「鏡」「じかん」「駅」「救急車」「悪心」「運動」「老い」「こども」と続いていく。なんだかすでに楽しい。
まぶしかる四囲のコスモスわれがもし鏡であらばしづかに狂れむ
四方に広がるコスモスの全てを反射する鏡があったらどうだろう。どこか狂おしい気分になってくる。
団子虫のやうなる涙吊るすときここから俺は号泣をする
こういう歌が渡辺松男の最大の魅力だと思う。人間が物や動物になる、比喩でいえば擬物法だ。ここでは人が動物っぽくなるというより、人と動物の境界がかき乱される感覚になる。泣きはじめが団子虫なら大泣きは何だろうか。……百足?
こぢんまりまとまりてゐる集落を耳にたとへむ星ふる夜は
「星ふる夜」は、現象としては目で見るものだ。でも星が「ふる」のだから言葉の上では音が生まれている。集落はその音を聞こうとして「耳」になる、いや詠み手が「耳」にしているのだ。主体は集落を遠くから眺めている、憧れているのだろう。
土佐の牧野植物園へ飛ばしたり日差しとなりてわたしのからだ
全身が雨となりふりをはりなばわたしきらきら土佐の新緑
人が「日差し」になり、「雨」になり「土佐の新緑」になる。土佐の歴々たる自然に呑まれるかのように人が人で無くなっていく。でもどこか朗らかなのだ。
ほか、目についた歌を並べておきたい。
おしつこの切れわろきかな視力表の丸ぽとぽととおつる感じに
こころには追ひつけぬ桜の坂ながらこころもかなりゆつくりあるく
オートバイ駆るときわたし山河なり色彩学がわたしなのです
象のはな子まだ走りゐん法事にはこの地球上どこもせまくて
幽霊のなみだのごときひとかげのあふれいでたり電車が開き
こころ
色彩学
無効分散
密集
一首目はたとえが面白い。たとえも老いているからとってもユーモラスだ。二首目はきれいな歌だ。下の句に入って言葉の並びそのものが遅くなるのに驚かされる。三首目は主体が山河の色を呑みこんでしまうのが劇的だ。でもちょっと作りものめいているかもしれない。四首目は擬物化ではなく動物の目線に立っているのがすごい。五首目は満員電車のたとえとして際立っている。あまり関係ないけれど、轢死者が電車に乗りつづけているとしたら悲しいことだ。
『牧野植物園』のあと
渡辺松男はすでに第十一歌集『時間の神の蝸牛』を刊行しており、書肆侃侃房のページから歌の一部をみることができる。
米櫃へわれの眼玉のおちにけりここが火口でなくてよかつた
目玉が落ちたことが既成の事実となっていて、それを疑うことができない。『牧野植物園』よりも幻想の強度が増している。こういう歌が短歌の世界にあってよかったと思う。
お知らせ
短歌五十音は今回で最終回です。これまで初夏みどりさん、桜庭紀子さんに代わってかきもち もちりさん、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉さんの5名が、週替りで五十音順に歌人を紹介してきました。
一緒に記事を書いてくれた初夏さん、桜庭さん、かきもち もちりさん、中森さん、そしてお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございました。短歌の世界はあまりにも広いです。本連載が私たちの旅の記録として、皆さまの旅の手帖になることを心から祈っています。
短歌五十音メンバー
初夏みどり
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桜庭紀子
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かきもち もちり
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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