古典に学ぶVol.2【哲学の効用】 デカルト著 哲学原理より
前回Vol.1は「哲学とは何か」を記載いたしました。今回の内容は哲学の効用、哲学とともに生きる生き方、その必要性について述べてみました。
哲学し続けることで自らの幸福を見つけることが出来、それに向けた人生を送ることが出来る人が増えることで国も繁栄する。今回はこの説について述べてまいります。
哲学の効用により国家が繁栄する
哲学の及ぶ範囲は「人間が知りうる一切のものに及ぶ」とデカルトは言っており、哲学する人が多いほどその人が属する国の文明と文化が進むともまた言っています。
そして多くの国民が哲学を有することは国家にとって最大の財である、とも言っています。
また、哲学を研究する人のそばで生きる(活動する)ことが自らの為になるが、自ら哲学に手をつけることが最も良いこととも言っています。
哲学する、その過程で物事の原理原則を知り、何が真なのか、正しいのか、多くの人が理解することで、間違った道に進むことが少なくなるでしょう。結果幸福に近づき、個々人の幸福の積み重ねによって、その国が繁栄していくとも言えるかもしれません。
幸せ、繁栄の概念は人それぞれです。自分や親しい人にとって何が幸せであるのか哲学し続けること、すぐに結論は出ませんが哲学し続けることが、単純な財(金銭・不動産・動産)の保有を求めることが幸せとされる苦難の生き方を脱却し、自分にとっての真の幸せに至るのでしょう。
そして昨今メディアを賑わす企業や権力者の不正も、人々が哲学することを常に念頭に入れて生きていれば発生しないのではないでしょうか。
自らの力を源泉に生きていくには
デカルトは以下を述べています。
哲学することなしに歩くことは、まさしく眼を閉じたまま決して開こうとしないこと。
だれにも頼らず生きていくことは生物として不可能ですが(赤子の時から一人で生きていける人はいない)、一方何か(政治や会社、コミュニティ)に依存するばかり生き方は、何らかのトラブルや危機が発生した際に、生きる力や意欲を著しく減衰させてしまうのかもしれません。
だからこそ本質、原理原則を理解し、それを幹とする生き方が必要だと私は理解するに至りました。本著の執筆時と異なり今は容易に本書を入手することができますので、昔に比べ今は生きやすいとも言えるかもしれません。
またデカルトは歩みを進めるのに自分の眼を用い、また同じようにして色や光の美しさを楽しむ方が、眼を閉じて他人に手を引いてもらうよりは、疑いようもなく遥かによいことと言っています。
ただし眼を閉じたまま自分だけで歩くよりは、まだましであるとも言っています。
日本の「徒然草」に「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」という有名な言葉があり、それを補完しているとも考えられますね。
そして知恵の探究に成功の望みがあり、どうすれば成功するか知っていたならば、多くの人が知恵の探究を実行するとも述べられています。このnoteが少しでも人の目につけば幸いです(^ ^)
誰か(人や組織)を信じて生きることは間違ってはいません。しかしその対象が誤った存在(信用を置けない存在)であったならば、そこから離れ何が正しいか改めて考え、自らの目(哲学)を幹として生きる必要がありますので、哲学を持つことはとても大事しょう。
哲学の必要性とは
デカルトは、哲学の研究は、我々の行動を規制し生活を導くために、最も必要なこと。
「精神=心」が生きる上で中心となる人間は、それを維持発展させるための「養分である知恵」を探究することに、最も配慮する必要がある。哲学の研究を「最高の善」と置き、対象理解のための原因認識すること、すなわち知恵の獲得が大事と重ねて言っています。
誰かに助けられつつ、誰かを助けつつ自律して生きていく。生物として人間として当たり前の生き方を改めて理解する一助として、哲学は意味があるのではないでしょうか。
哲学し続けることで自らの幸福を見つけることが出来、それに向けた人生を送ることが出来る人が増えることで国も繁栄する。
このような国の繁栄を見られるようになるよう、微力ながら努力してまいります。
岩波文庫 哲学原理 仏訳者への著者の書簡より
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