【 ホ・オポノポノ 】 クリーニング日記#023 :人間の自分より自然を重視しすぎてしまった記憶
こんにちは☀️
自然との調和、
他の生き物たちと人間の調和のとれた関係とは????
近年の私の中での
大きな興味でありました。
エコやリサイクル
プラスチックフリーやヴィーガン、
無農薬や非化学繊維
占星術やシュタイナー、
農的な暮らし、自然農
ヨガや瞑想などなど
色々と探究していました。
都会に住んでいたこともあって
人間が自然に介入することは生態系の破壊につながり、
できるだけ手付かずのままの自然こそが尊いと
何となく、考えていたところがありました。
他の生き物を殺しながら生きることも
肯定的には感じられずにいました。
できるだけ介入せず、
できるだけ殺さず
一体どうやって生きていけるのだろうか?と
考えていたところがありました。
ある日、種をおろすために
畑に生えている植物たちを刈る必要に迫られて
苦しくなっている自分の気持ちを
ホ・オポノポノでクリーニングしました。
中々草を刈る手が進まず
「ごめんなさい、ごめんなさい」と
植物たちに謝っていましたが、
クリーニングしていくと
植物たちの声が聞こえてきたような気がしました。
『謝らなくていいんだよ、
死ぬことは終わりじゃないんだ。
次の旅路への始まりでもあるんだよ。
だから、ありがとう、いってらっしゃいって
言ってほしい』と。
”物質界の死は、魂の旅路の終わりではない” という
考え方は、私にとって慣れ親しんだものではあったのですが
いわゆる寿命による自然死ならともかく、
自らの手で生き物を殺めたり
自分の生のために殺す行為には、
とても強い抵抗感がありました。
そこには、
「誰のことも傷つけたくないし、
誰からも傷つけられたくない」
という強い思いや
自分の存在が誰かの生に介入し
強い影響を与えることへの恐れが
私の中にあったようでした。
「私が肉体を持った人間として生きていること」を私自身が肯定できないまま
架空の誰かや何か(宇宙とか神様とか正しさとか)にとって
「より良き存在でありたい」という理想を
長い間追い求めていたのだと、ハッと気付かされた体験でした。
この体験後、
無差別に殺生をするようになったわけでは勿論ありませんが
差し出された命に対して
これまでのような悲しさや苦しさよりも、
感謝の気持ちの方が少しずつ強く感じられるようになってきました。
クリーニングを続けていきたいと思います🌿
ここまでお読みくださり
どうもありがとうございます。
POI
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