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実家暮らしと、実家と離れた暮らしと2
こちらは前回の続きです。
1.私と母
母は、ガミガミ怒るタイプではなく、大人しいタイプだと思います。
友人もみんなあなたのお母さんは優しそうでいいねと言っていました。
基本的には優しいと思います。お説教のようなものもそこまで多くはなかったです。
ただ、母は私をストレスのはけ口に使っていたのではないかと思うことがあります。また、私が女性らしくなることへの嫌悪感もあったと思います。
・容姿いじりと弟びいき
これは前の記事で書いた通りで、弟のほうがかわいいという発言や容姿をいじったり、弟ではなく私に我慢させていたりといったことです。
・愚痴聞き要因
私の実家は祖父母と同居だったので、母はかなりストレスを感じていました。なかでも祖母への憎しみのようなものがあり、私は母から祖母の悪口や愚痴を聞かされていました。
そのほかにも仕事や父の愚痴、弟の愚痴もいろいろなものを聞かされていました。
これを聞いた子供だった私は、私がこの家族の仲を取り持たないといけない、私が盛り上げないと家族が崩壊してしまう、という使命感からピエロのように明るくふるまっていました。
・生理用品と下着
生理用品は、生理が来るたびに母に伝えて手渡しでもらっていましたが、月に5~8枚程度(普通の昼用)しか渡されませんでした。足りるわけないのですが、追加でもらおうとするとため息を吐かれていたので、トイレットペーパーで補強(今でいうシンクロフィットみたいな感じに)して1日1枚で過ごしました。
ブラジャーも、中学生でスポーツブラ3枚ほど、高校生でブラジャー2枚しか与えてもらえませんでした。足らないので、洗濯せずに2日連続つけたこともあります、、
・「お金がない」発言
贅沢はできないということはわかるのですが、ことあるごとに「お金がない、お金がかかる、うちは貧乏だ」と言っていたため、小学校の裁縫セット等の申し込み(選んで袋にお金を入れて持っていく)もぎりぎりにならないと言い出せませんでした。上記の下着や生理用品を欲しいと強く言えなかったのもお金がないと思っていたからです。
お小遣いももらえていなかったので、お年玉を1年間かけて使っていました。
・無視
母は機嫌が悪いと私だけを徹底的に無視しました。私も初めは私が何かしてしまったのかと思い「何かしたかな、ごめんなさい」と謝っていましたが、それも無視されて何度も泣きました。
高校生くらいになると、またか、と思うようになり、無視されたらしばらく近づかないようになりました。
2.祖母と私
母は弟が大切で、小さい頃は悲しくてよく泣いていました。そこで私を抱きしめて背中をさすってくれたのは祖母でした。
私は幼稚園から小学校低学年ごろまで、何でも祖母に話して、おばあちゃん子でした。祖母は、幼い私を抱きしめて手をつないで、一緒に歌を歌ってくれました。
小学校に入学したころだと思います。私が何かの体調不良を祖母に伝えたところ、祖母は病院へ行ったりは母がすることで、祖母の立場で手出しするのはよくないと考えたのでしょうが、「かぺちゃんが〇〇と言っているから病院に連れて行ってあげてほしい」と言いました。
母は返事をして私を連れて部屋へ行きました。
「あんたはおばあちゃんおばあちゃんっていつも言ってるんだから、病院もおばあちゃんに連れて行ってもらえばいいやろ!おばあちゃんの子になればいいやん!」
と言われて泣いた記憶があります。
でも、私がおばあちゃんばっかり話すからいけないんだと思いました。そのころから母に気を使っておばあちゃんとべったりだったのを直しました。母はそのころは私に優しくなった気がしました。
3.私の家族への思い
上記でいろいろ書いているのでめちゃくちゃかと思われるかもしれませんが、普段は普通に話をしたり冗談を言い合ったり出かけたりすることもあったので、私は実家を出るまで私の家族が仲がいいと思っていました。なかなか楽しい家族だななんて思っていました。正直、いろいろ書いたけどその違和感を封じ込めていたから家族が好きだったし、就職のタイミングで一人暮らしを始めた当初は実家によく帰っていました。
しかし、実家と離れてみて、冷静に考えるとおかしかったなと感じたり、経済的に自由になることで私がいた環境は何だったんだろうと思うことも増えてきました。
結婚し、夫と暮らすようになり、私の実家は変だったのかも、とより感じるようになり、出産して自分が母親という立場に立ったことで、1人の保護者として私の立たされていた状況に悲しくなりました。
私は、きちんと食べさせてもらっていたし、殴られたこともないし、大学にも行かせてもらった。そんな恵まれた立場で親のことを嫌いに思ったりよくないと思ったりすることに罪悪感も感じていました。
「毒親」というには私の親はいい親だったということも私を悩ませていたように感じます。
でも、今は「両親のことは嫌いだけど感謝している」という自分なりの落としどころを見つけられたような気がします。
ここまでくるのは苦しかったです。でも、当時の私の「嫌」を、母に蓋をされていた「嫌」という感情を今の私が認めてあげるのは大切なことだと思っています。
4.感情を認める
上に書いたように、例えば母の機嫌で無視されたとき、私は悲しかったんです。でも、「またか」と思うだけにして感情を抑えたり、なかったことにしたりしてきました。これはきっと子供の私が考えた「自分の心を守る方法」なのだと思います。もし、母が自分を感情のはけ口にして当たって無視していると認めてしまったら子供の時分には耐えられないからです。
大人になってからも、自分が親のことを嫌いだと思う気持ちを悪いものだと思い、そんな気持ちになってはいけないと感じていました。
しかし、自分の感情はいけないものではないのです。感情のままに相手を傷つけるのはしてはいけないことですが、自分の中に感情を持つこと自体は自由で、誰も否定する権利はない思います。
こんなことに気づくのに時間がかかりすぎてしまいました。
私の「感情をないことにする」思考癖をやめて、いったん自分の感情を受け止める練習が私には必要です。
私は今何を感じているのか、何に嬉しいと感じ、何に嫌だと感じるのか。他の人と比べるのではなく、自分の感情に向き合わないと、またうつ病を再発させて働けなくなってしまう気がします。
自分の心を大切に、無視しないように生きていきたいです。
長いのに読んでいただきありがとうございました。