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「事実」よりも大切なこと
今朝起きたら、窓の外が雪国になっていた。
「ばあちゃん、もう起きる時間だよ。外、雪が積もってるよ!」
まだ寝ているばあちゃんに声をかける。
一緒に住んでいる認知症のばあちゃん、今日はデイサービスに行く日なのだ。
「あらまぁ~。今日は雪が降ってるのかい!? 外は寒いんだねぇ。もうこんな時期なのにおかしいねぇ・・。」
ん?おかしい?どうゆうこと??
今は1月だし、雪が降っても全然おかしくないんだけど。
「『3月の忘れ雪』って言うしねぇ。」
なるほど。ばあちゃん的には今は3月なのね。
つい2週間前は「まだ11月なのに」ってつぶやいてたんだけどな。
まぁ、何月でもいいか。雪が降っていることにも、外が寒いことにも変わりはないのだから。
ばあちゃんは認知症が故に、直近のできごとを忘れてしまうことが多い。そんなこともあって、ばあちゃんにはものごとの「事実(実際に起きたこと)」というものがまったく通用しないことがある。
「それ、ばあちゃんの記憶違いだよ。忘れちゃってるよ。」と事実をこんこんと説明したくなることもある。
だけど、ばあちゃんにとっては自分が思い込んでいることが本当のこと(真実)なのだ。
そんな状況でいくら事実を説明しても、すでに忘れてしまっているばあちゃんからしたら寝耳に水だろうし、もしかしたら嘘つかれているような気持ちになるんじゃないかと想像する。
だから、いつも事実を伝えるのがいいとは限らないと思うのだ。
もちろん、「こりゃいかん」っていう時には説得したり、こちらが力技でやってしまうこともあるんだけれど。
事実はひとつだけど、真実は人の数だけある。
そんな言葉を痛感する日々。
事実がどうであろうと、ばあちゃんにとっての真実をできるだけ大切にしてあげたい。こちらの正しさを押し付けるのはやめよう。
そんなことをいつも思っている。
ちょっとだけ忍耐が必要で、だけとそれ以上に楽しいばあちゃんとの生活を、わたしはすごく気に入っています。