はじめての妊娠、そして流産。どう乗り越えたかもまとめました。
タイトルにある通り、妊娠して、そして初期の自然流産を経験した。これは自分のための忘れたくない1ヶ月の記録である。書いて、載せるか迷ったけど…自分もたくさんの方のnoteを読んで少しずつ前に進むことができたので、同じ経験をして悲しみに暮れている誰かにとって少しでも慰めになればいいな、と思って投稿することにした。
妊娠した
2024年9月。急に秋の訪れを感じたかと思えば、すぐ夏に逆戻りして、またちょっと涼しくなって…と夏と秋がおしくらまんじゅうをしていた頃。
人生で初めて、自分の身体にもう一つの命が宿るという奇跡を経験した。
予感はあった。
おなかにチクチクした違和感があったり、ずっと身体が高温だったり、すんごい眠気がやってきたり。
「これって妊娠?」と思いながら、何度も「妊娠 超初期」と検索していた。
生理予定日を6日過ぎ、ついに妊娠検査薬を試すことにした。
久しぶりにドキドキして、判定サインの箇所を両手で隠しながら、リビングに向かう。
旦那も呼んで、そわそわしながら二人でせーのとひっくり返したら、やっぱり陽性だった。
まだ転職して半年という微妙な時期で、海外旅行にも行きたいと思っている私は、「何よりも優先して今こどもがほしい!!!」と思っているわけではなかった。でも、今年で30歳だし、一般的には妊娠にはタイムリミットがあるといわれていて、自分の思い通りにいかない授かりものであることも分かっているから、いろんなことを天秤にかけて迷っている状況で。
だから、正直なところ「うわあ妊娠した…!」と信じられない気持ち、そしてちょっと不安な気持ちもあった。
でも、そんな私でもやっぱり嬉しくって、自然に二人で抱き合って喜んだし、次の日には本屋さんに「妊娠したら読む本」を探しに行った。
はじめてのエコー
翌週、午前休をとって初めて婦人科の診察に行った。
「痛いのかな?」と心配していたけど、なるべく呼吸に集中して息を吐くことを意識していたら、それほど痛くはなかった。
何より人生初のエコーに感動した。
「わたしのおなかの中がこんな風に見えるのか…!」「エコー、よく見るやつ!」と初めての体験に少しワクワク。
ちっちゃい胎嚢が確認できて、嬉しかった。
今、このおなかの中に赤ちゃんがいるんだ、これから大きくなっていくんだ、と少し実感が湧いた。
つわり、兆候
つわりは、まだつわりと呼ぶには早いくらいの様々な体調不良が、「何がでるかな♪」と順ぐりにやってくる感じだった。
毎日体温が高くて、内からほてほてしているのがベース。眠気や胸の張り、足のむくみも毎日のことだった。
それに加えて、日によって、頭痛、腹痛、気持ち悪さ、眠気、だるさと色々な体調不良に襲われる。
びっくりしたのは、耳にも変化があったこと。イヤホンをしていると違和感があるなと思っていたら、耳が詰まっている感覚が出てきて。
なんでだろう?イヤホン汚いのかな?と思ってたけど、それも妊娠の症状の一つとしてあるらしくて、本当に全身で赤ちゃんを育てる準備をしてるんだ!人間の身体ってすごい!と思ったこともあった。
世の中のつわりがひどい人に比べたら全然マシだと思っていたけど、「今日すごい体調悪そう、無理しないで帰ってね」と職場で言われるくらいには体調の悪い日もあった。
でも、普段ホルモンの影響でメンタルが左右されまくりな私からすると、「つわり、思ったよりひどくないぞ?」という感覚で。どんどんひどくなっていくのかと思っていたから、若干拍子抜けしていた。
それがある日、「あれ、今日体調不良がない…」という時があって。
と旦那とLINEしていた。
ちなみに、この3時間後のLINEではこんなやりとりもあった。
体調不良はもちろんつらい。でも体調が良いと不安になり、体調が悪くなってきたら安心してしまう。そんな通常時だったらありえない心理状況になっていた。
今思うと、やっぱりこれが兆候だったわけだけど、この時はまだ赤ちゃんはちゃんと育っていて、9ヶ月後には当たり前のように産まれてくるもんだと思っていた。
「なーんも分からないぞ!?」と思い、本や雑誌を読んだり、YouTubeを見たりして少しずつ知識をつけていっていた。アプリを入れて毎日「今こんなふうに赤ちゃん育ってるんだぁ」と感心していたし、エコー写真は感熱式だからいつか消えるという情報を見て、スキャンしてデータ化もした。そんなふうに少しずつ、自分なりにお母さんになる心構えをしている最中だった。
出血、そして流産
茶色いおりものが出るようになって、「あれ?でも、よくあることらしいし大丈夫かな」と思ったのも束の間。
おりものに赤い血が混じるようになって、次第におりものシートでは足りなくなり、生理1日目か3日目くらい出血するようになってしまった。
結構な確率で流産する可能性があることは知っていたし、頭の中では「もしかして?」と思ってたけど、「〇〇分の1」な確率に引っかからずにこれまで生きて来れたから(幸せなことだ)、「まあ、出血はするっていうし、大丈夫、かな…?」と思ってもいた。
ただ親にも相談して「病院で診てもらって」と言われたので、病院に電話すると、夜9時だったけど「今から来れますか?」とのことで、急遽病院に行くことになった。
夜間診療でみてくれるくらい、妊婦さんにとっては重大なことなんだ…。私の赤ちゃん、大丈夫かな?と思いながらタクシーで病院へ向かった。夜だったので旦那も一緒に来てくれた。「きっと大丈夫」と「もしかしたら」がないまぜになってそわそわ落ち着かない車内だった。
診察では、内診でぐりぐりされて痛かった。初回では痛くなかったエコーも、時間が長くて痛かった。
エコーに胎嚢は写っていたが、その大きさは1週間前と変わらないままだった。
「排卵の時期は予想に過ぎないので、排卵日がずれている可能性もあります。ただ、出血していることと胎嚢の様子を見ると流産の可能性が高いと思います。通常7週だと心拍が確認できるようになるくらいなので…」と言われた。
覚悟はしていたので、天地がひっくり返るような驚きはなかったが、じんわりと悲しみが込み上げてくる。
旦那も呼んできてくれて、一緒に話を聞いた。
涙がこぼれないように、必死に冷静に「今聞いておくべきことはないか?」と考え、いくつか質問をした。
そのおかげもあって、普段は泣き虫な私も泣かずに診察を終えることができた。
10人に1人は流産してしまうのだ。女子40人のクラスがあれば、そのうち4人は流産を経験するくらい、実はありふれたこと。
それを理解はしていて、「今回がラストチャンスなわけではない」「これで産めなくなるわけではない」と頭では思える。でも、いざ自分が、となるとやっぱりショックで悲しくて。
診察室を出て、受付が見えなくなった途端、涙があふれて止まらなかった。
なんで悲しいかわからなかった。
「しばらく旅行に行けないのは残念だなあ」とか思ってしまっていたし。一応まだ流産が確定したわけじゃないし…。
でも、前回のエコーから本当に何も変化がなかったし、つわりも軽くなってたし、出血もあったし、これはもう生きてないだろうな、とは思っていた。
今でも、なんであんなに悲しかったのかうまく言語化できないでいる。
でも、ただただこみ上げてくるものがあって、悲しくて、切なかった。
この翌日は、朝からお腹が痛くて、気持ちも落ち込んでいたので、仕事を休んだ。
腹痛が結構つらくて、ベッドで横になって、泣いたり、気を紛らわせるために動画を見たりして過ごしていた。
この日は金曜日で、土日月と旦那は家を空ける予定があったので、夜には一人なってしまった。
夜お風呂に入っていたら、今まで見たことない大きさの血の塊が落ちてきた。白っぽくて、モニョモニョして、さわってみるとプニョプニョしたのが入ってて、なんだこれは?と。
「もしかして胎嚢なのでは…?」と思い病院に電話。翌日また病院に行くことになった。
結果から言うと、これはただの血だったみたいで、胎嚢ではなかった。
でも、エコーを見たら前回あったちいさな胎嚢の影は見えなくなっていて、どこかのタイミングで、流れていったみたいだった。
流産はつらかったけど、大きくならないうちに、自然排出で出ていってくれて(という言い方は良くないけど…)、身体にはありがたいことだった。まだ最後の診察が残っているので、来週身体に問題がないか確認してもらう予定だ。
初回の妊娠での流産が一番多いらしいが、二回目以降は妊娠継続できる人も多いそう。
「今回の流産が次につながることはないから安心してください」と言ってもらえて、ホッとした。
自分では受け入れつつあるつもりだったけど、いざ一人で産婦人科に行ったら、赤ちゃん連れの人、お腹が大きい人、赤ちゃんマークをつけている人、色々な人がいて、なんかすごく、悲しみの波がやってきて、涙をこらえるのに必死だった。診察では、前回は我慢できたのに、思わず泣いてしまって、少しだけ別室に通してもらった。
でも、流産するにしても後期になって大変な手術をする人もいるし、妊娠が叶わずに長年大変な思いをする人もいるし、子どもが無事産まれてもそれぞれの家庭でいろんな事情があるだろうし、そもそも良いパートナーに巡り会えなくて苦しむ人もいるし…妊娠とか結婚とかって、みんな色々な事情を抱えていて、そのどれもが当事者にならないと気持ちを理解できないことばかりで。
「こうあるべき」という見えないものさしを、いつまでも気にしちゃう自分がいて、一方で周りの人は軽々とクリアしている気がして、苦しめられがちだけど、みんなきっとどこかで苦労しているんだろうな。今わたしはつらいけど、もっとつらい思いをしている人もいっぱいいるだろうし、自分だけ苦しいわけじゃないと思える自分でいたい…。この経験でまたひとつ強くなって、優しくなって、いつか誰かの傷を包み込んであげられる自分に近づいたかもしれない。
なんて、頭では自分を俯瞰しながらも、心はよわよわで、泣きながら自転車に乗って帰った。
悲しみって、どうやって乗り越えるんだっけ?
しばらくは、ことあるごとにシクシク泣いていた。
最近どうしようもなく悲しい気持ちを体験していなかったから。幸せなことに、大切な人はみんな元気に生きていて、身近な人が亡くなってしまうようなことも10年近く経験せずに過ごせていた。
もちろんこの10年、泣いたことは数え切れないくらいある。元々泣き虫だし。仕事や家庭でのやるせなさとか、自分の情けなさとかで泣いた夜もいっぱいあったんだけど。自分に原因があるわけでもなく、自然の成り行きとして起きてしまったことに対して、どう気持ちの整理をつければいいかわからなくて。私は悲しみの乗り越え方を忘れてしまっていた。
流産した人のブログやYouTubeをいっぱい見たり、普通の本は読む気になれなくて、珍しく詩の本を手に取ったりもした。
どうしようもなく悲しい時は、まずはその気持ちに蓋をせずとことん味わい尽くすことが大事なようで。「今は悲しみに浸ってもいい」と自分に言い聞かせ、たくさん泣いた。詩の本を読んで、支えてくれる言葉を探そうとした。近くで花火大会があったときは、橋の上から花火をぼーっと眺めた。
母からフラワーアレンジメントが送られてきて。「無理に笑わない」という言葉が胸に染みた。
友達の結婚式があったから、妊娠を報告した友達もいて、流産のことを伝えたら、「つらかったね、私たちの前では無理に笑わなくていいんだからね」と母と同じことを言われて。これもまた温かいメッセージで本当にありがたかった。(LINEを見た瞬間大号泣…)
会社では妊娠のことはだれにも報告していなかったので(本当は、出血で急遽夜間診療に行った次の日に、上司に言おうと思ってたんだけどね)、直属の上司にだけ、流産した後に報告した。体調不良が続いていたから、言った方が安心するかな、というのもあって。報告したら、本当に悲しそうな顔をしてくれて、それだけでちょっと心が救われた気がした。
そんなふうに、周りの人のやさしさや世の中の悲しみに寄り添ってくれるコンテンツに心を救われながら、少しずつ回復していった。
せっかくなので、私が色々な方のnoteを見ていたように、同じ境遇の方が見てくれているかもしれないから、「私はこんなふうに乗り越えたよ」ということをまとめておく。ちなみに私のnoteを今開くと、「流産」「妊娠」「稽留流産」「天使ママ」「妊活」「夫婦」とかそんなカテゴリばかり並んでいる…。
悲しい時は思いきり悲しむこと!そのプロセスがとても大事で、前を向く一歩になる(でも本当につらいときは前を向きたいとか思わないよね、この悲しみが癒える日は来るのかなって思うよね、そんな時はその気持ちをつらいけど抱きしめてあげてほしいし、ずっと悲しんでいる自分を絶対に否定しないであげてほしいです)
無理して笑わなくていい
つらかったら仕事も家事もそのほかの予定も全部休んで家に引きこもっていい、何もしなくていい
何より自分のからだを大切に!何かあったらすぐ病院に連絡する
信頼できる人がいれば、話を聞いてもらう。話を聞いてもらえる、労ってもらえるだけで心が救われる
同じ経験をした人の体験記を読む・聞く・見る
支えてくれる言葉を探す(本やブログや詩などで)
没頭できる映像を見る(映画やドラマ等)
最後に…何度だって泣いていい!
佐野厄よけ大師で水子供養
栃木県佐野市。(唐突)
近くに佐野プレミアムアウトレットもあるし、ご当地ラーメン「佐野らーめん」もおいしいし、ご当地キャラクターの「さのまる」は可愛いし、新宿からバスで1時間ちょっとで行けるし、実は魅力がいっぱいある場所で、旦那と出会ってから毎年訪れていた。
佐野市にある有名なお寺が、CMでよく見る「佐野厄よけ大師」。
毎年、年の瀬に行っていて、「水子供養の場所があるんだなぁ」と思っていた。だから、今回水子供養をしようかなと思い立った際に頭に浮かんできたのが佐野厄よけ大師で、旦那と二人で行ってきた。
調べてみると予約は不要とのことで、当日直接向かった。
1万・3万・5万と供養のお金は3種類あった(記憶が曖昧なので間違ってるかも)。その場で申し込んで、もう一組のご夫婦と一緒に供養が始まった。
写真はとっていないけど、大きな仏像が飾ってあって、仏様の手の上に小さな子がいて。丸いお堂の中で供養が執り行われた。
詳細は書かないけど、心に残る時間で、行けてよかったと思った。きっとこれで、安全にお空に帰れるかな、って。
ミルクやお菓子、お花を供えられたから、お供えもしてきた。
供養が終わった後は、せっかく佐野に来たから佐野らーめんを食べて、プレミアムアウトレットで秋服を買って、小旅行を楽しんで帰宅した。自分の中で一区切りついたから、行ってよかったなあと思った。
日常に戻ってきた
9月は、妊娠がわかって、つわりを経験して、流産して、自分にとっては濃い一か月だった。久しぶりにすごく悲しい思いをしたけど、おかげさまで、乗り越えられた気がする。
まだ大きくなっていなかったし、10人に1人が経験するという可能性の高さも救いになった部分があって、比較的短期間で乗り越えられた方なのかなと思う。もっとつらい気持ちを経験している人がいると思うと(痛い手術をしなきゃいけないとか…)、私がこんなに語っていいものだろうか、とためらってしまうのだけど、、、
でも今回思ったのは、やっぱり人の苦しみとか悲しみとか、その立場にならないとわからないことだらけだなって。幸せそうに見える人でも悩みを抱えているんだろうな、と思う。
悩みには色々な種類があって、境遇は一人ひとり違うから、絶対にほかの人の気持ちを100%理解するなんてことはできなくて、それは仕方ないこと。だから、大切な人が悲しんでいるとき、私にできることなんて大してないだろうし、できることがあるなんて思いあがらないようにしたい。そのうえで、ただただ寄り添っている、話を聴く、少しでも痛みが和らぐような、優しい存在でありたいなと思った。
生きていくって色々あるね!本当に、楽しい時もあれば悲しい時もあるけど、でもそれが生きていくってことなんだろうな。いろんな経験をして、たくさんの感情や経験を味わって、幸せな気持ちで人生を終えられたらいいな。なーんて思いました。
今は、赤ちゃんがくれた旦那と二人の時間でできることを楽しもう!と前向きに楽しい予定を計画している。なんか、流産を経験して旦那とも穏やかな時間を過ごせることが増えた気がする。赤ちゃんのおかげかな、ありがとうね。
次、もし赤ちゃんがやってきてくれることがあったら、元気に育ってくれることを祈っているし、心からその奇跡に感謝できるだろうなと思う。今回のことはきっと必要な経験だったんだろうな。
赤ちゃん、直接会うことはできなかったけど、私のおなかにやってきてくれて本当にありがとう。短い間だったけど一緒に過ごせてよかったです。また会おうね!
※センシティブな話なので、この記事を書いてから数週間、何度もプレビューを読んで、更新しようかしまいかと悩みました。何気なく書いた言葉が誰かを傷つけてしまったらどうしよう、と。もしこの記事を読んで不快な思いをされた方がいらっしゃったらごめんなさい…。私自身経験された方のお話に救われた部分があったので、今回記事をアップすることにしました。個人のちっちゃな一記事で何を偉そうに、って感じですが、もし誰かにとって少しでも良い影響があったらとてもうれしいです。