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観察日記981
観察日記981
おはようございます。
「しんがりの思想」を読書中です✋
・「われわれは公民として病みかつ貧しかった」(1931,柳田國男)
・今の私たちはこの言葉を乗り越えたといえるだろうか?
・自殺者の数は景気動向と強い相関
・好景気の期間では自殺者の数は減少し、不況下では増加する
・「説くにも忍びざる孤立感」
・90年ほど前、貧困と病による自殺や一家心中の急増の中に柳田が見てとったもの
・それ以前に貧窮が苛烈であったときはまだいまよりしのびうるものであった
・貧窮が人々を一様に襲い、人々は互いに協力して救済し合う「共同防貧」の仕組みがあったから
・「われわれの生活ぶりが思い思いになって、衣でも住食でもまたその生産でも、個人の考え次第に区々に分かれるような時代が来ると、災害には共通のものが追い追いと少なく、貧は孤立であり、従ってその防禦も独力でなければならぬように、傾いて来る」(柳田)
・「孤立貧」こそが時代の「社会病」
・「しばしば実情の相似ている貧窮が、地をかえ時を前後して発現していることを学ぶ」ことが、現下の課題
・どこかの一家心中も、場合によっては自分がその当事者であってもおかしくないと認識する
・その悲痛な出来事を「われわれ」の一つの〈典型〉として受け止める必要があるのでは
・貧困をこのようにとらえる必要がある理由(柳田)
・職域の拡大、職業選択の自由と居住地の移動、移動に伴う「家」の解体と婚姻の自由、そして消費の自由…
・これらは「近代社会」を実現するために、かつて「われわれ」自身が望んだもの
・これを逆転することは難しく、現実には柳田のいう「孤立貧」の深化はさらに進行
・「一億総中流」という状況が出現し、高度消費社会という名の「豊かな」社会が到来した
・だが、人々幸福を得たというより、幸福にいっそう渇くようになった
・長引く不況の中で、貧困という忘れていたはずの問題が「格差社会」の名のもとに、ボディブローのように私たちの腹を撃つようになる
・ここにかけていたものはいったい何だったのか?
(「経済成長」の脱神話化へ)
「共同防貧」という概念は前回のお茶会でも話題に上りました。
現状のシステム(あるいは組織、世間などの集団)を鵜呑みにできず、かってに疑問が湧いてしまい(なんとなく)居づらさを感じてしまう人たちとの外ネットワークがあればどうなんだろうと妄想することもあります。
「外」とはいっても、社会システムから完全に切り離すことはできないので、それが緩む場所ぐらいの感覚なのかなとまだまだ悶々とはしておりますが😅
あと、「われわれ」という言葉を目にするとコロナ禍で配信された出口康夫先生の「われわれとしての⾃⼰」という動画を思い出したので、また見てみようと思います。
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