結果か努力か?
気になることは徹底的に調べてしまう私。
ずっとずっと、白のウェディングドレスと、チャペルウェディングに憧れ、それだけはブレず、
初めての結婚が何故か白無垢と、振袖、だったりして叶わなかった夢、
いつか叶えたい夢というか、取り憑かれながら必死で生きる目標として、解離し忘れてしまった人生含め、とにかく暗いトンネルの中の、1点の光を希望として、絶望的な人生の途中、トンネルからでて、
もしかしたら夢が叶う?
しかし相手はモラハラ夫だったりした。 🥲
付き合い約8ヶ月、お互い毒育ち上手くいくはずなく、2ヶ月で事実上破綻したが、さすがに3ヶ月で別れる選択肢はなく、ここで結構、人間のあり方など学んだ気もした。
よく、「相手が変わらなければ自分が変わる」
そのように言われるが、それは相手にもよる。
相手がそれを理解してくれる方なら良いが、相手がより悪い方へ向かう、(変えたことにより調子に乗り、どんどん甘えが出て本性が最悪だとそれが著しく自分自身を追い詰める事となる)
結婚当時、私は休職中で、傷病手当金を貰って生活している状態だった。
御相手は転勤族で、たまたまこの海辺の田舎へ私は引っ越す事になり、誰も知り合い居なくて、
電車も1時間or2時間に1本。
あまりの田舎さに、何となく絶望感強くなり、私の病気を扱える病院なく、前の主治医に探してもらい、やっと1ヶ月に2回都内から来る医師と巡り会い、その医師がものすごく優秀で、それだけが救いだった。
何度も自分を変えてきたつもりだ。
しかしモラハラ夫、頭がいいのかなんなのか、昔の傷を抉るような暴言、物に当たる威嚇など、トラウマを甦らせるような生活に、やはり毎日が辛く、
離婚する1年前には、もう生きる力さえ失い、海へ入水しようかと何度も考えたが怖くて出来なかった。逃げ場のない生活。
謝ることの出来ないモラハラ気質の夫。
私の車に蹴りを入れ、車が凹んでも平気。お金をばら撒き、それをSNSにアップ。なんでこんなことするんだろう……ドケチなので、家計に口出しするも、ばらまく度に私がサクッと2~3万取っても気づけないという、結果損する1000万の貯金がある事のみ彼の唯一のプライドで、それ狙いで私が居ると、大いなる勘違いしか出来ない夫が、
喧嘩の時、「2~3日帰ってくるな」
ガチで、行くとこなくて、ホームレスの様にキャンプした。
私はソロキャンというのを極めたいがため、1人で何度もテントの張り方、タープの張り方かなり練習し、もうこの頃はなんでも出来るようになっていて、焚き火して暖をとり、実際家にいるより楽しかった。
その時間星を見て、様々な事を考えているうち、
実は私は、白いウェディングドレスを着てチャペルウェディングがしたかっただけではないか?
愛など分からない私はそこに、自己中心的な考えの帰結を見いだした。
ベトナム旅行がなければ離婚に踏み切れなかったが、この生活に無理がある。自分を変えすぎて何も見えなくなって、相手の言いなりになってしまった昔と変わらない独房へ戻された、抜け出せない苦しみ、何故だ?何故ここにたどり着く?
それでもよく考えたら、母の言う教養、お稽古含め、社会人として、身につけてきた、メイク、機械式腕時計の知識、高校の時の吹奏楽、(フルート)大学の時のテニス部の経験。そして、営業職になって覚えたゴルフ
実はもう何でも出来るのでは?やりたくない事も我慢してやる、そして追求癖で、ある程度極めて来たこと、雑学(時計などの知識)好きなキャンプも、YouTubeを見ながら1人でここまで出来るようになったこと。
欠落は確かに著しくある。
けれども気付いたらこんなにもスキルを得てきたのは、解離性同一性障害、(この時はアスペルガー障害の私)実は私はそんなに自分をダメ人間と思う必要は無いのではないか?
薪に火をつけながら自然の中で思った。
感情だけがどうしても悲しみ、憎しみしか伴わないが、それを探す途中やはり頑張って来たことは、今でこそ使えないかもしれないが、あんなモラハラ夫の言うことなど聞いて生きていく必要はないのではないか?
ぼんやりと思った。
本質を見抜くというのは、ある程度訓練を得、習得する。特に営業はそうだ。
やはり1人でも生きていける、ここである程度決心を固めた。
人間、やれば、やる気さえあればなんでも出来る、その1歩1歩は無駄ではなかった。
就職が決まり、そこで邪魔するかのようにベトナム旅行を提案し、コロナに罹患して、中々帰国出来ず1ヶ月出勤が遅れてしまった。
離婚の決意とはなかなか実行に移せない。自分の今までを信じた。
幸い、1番下の弟の銀行に給与など預け、勧められるがままに、投資信託だのNISAだのiDeCoなど全て任せていて、ちょっと金額は分からないが、多分生きていける。
諸葛孔明の様に、昔真似していた
東南の風が吹く
((("Q(・ω・`)
立ち上がった。
そこからは本当に早かった。
私は大事な事は必ず自筆で、封筒も素敵なものを選び心を込めて、書くという、母に教えられたこと、それを初めて破った、
モラハラ夫への両親への別れのご挨拶は、
ラインで済ませた。
それだけどうでもよかった。
鬼滅の刃下弦の伍
家族ごっこしか出来ない、感情が伴わない、ただ縛り付けただけの機能不全家族しか構築できない私はもう、家族に憧れてはいけない。
誰かを傷つけるか、自分が傷つくことしかなぜ出来ないのだろう。それはやはり抱きしめられたことがない、愛情を知らない、家族なんてやはり妄想で、求めたらいけないんだ……
青い鳥を心の中から手放した。
そしたら何か変わった。
きっかけは、私が運転する車に、突然フロントガラスに、キジが飛び込んできた時。
こんなことってある?跡はついたが、飛び立っていったので死んではいない。すかさず調べた。
どれを見ても同じような事かいてあり、これをどのように解釈し、前に進むか、ヒントにして、自分自身で決め進んだ。
結果はまだ分からない。
けれども、長い人生の中、無駄なことはひとつもなく、例えそれが毒親育ちで深い傷を持っていたとしても、囚われからどのように逃れるか、居場所を見つけるか。
結果ではなく、その途中の努力がやはり大切であり、道が2つに別れて立ち止まった時、正しい道を選べるかどうか、それはやはり、留まっている限り苦しい状況は変わらない、1歩踏み出す勇気、その状況脱するにはそれしかないと思う。
まだ人生半分あり、世界情勢変われどやはり生きづらさを抱えても、諦めない、傷ついても前に進む努力は結果は必ず報われると信じている。
それが自分を変える、ことなのかもしれない。
最後までお付き合い下さり大変ありがとうございます!(´▽`)