ある高僧と出会いミャンマーで僧侶経験したことで激変した人生~プロフィール紹介~
金沢駅から歩いて 7分。築140年の小さな金沢町家を改装したアットホームなゲストハウス「Pongyi(ポンギー)」を運営しています。
金沢ゲストハウスPongyi(ポンギー)代表の’まさき’です。
素の自分でいられて他の人と交流できるアットホームな宿、ゲストハウスPongyi(ポンギー)を運営しています。
旅は自分をみつめ成長できる最高の時間。やりたいことがわからなかったら、『本業は自分』でいこうよ。
いきいき生きるあなたを応援して、我が家のようにホッとできる場所でお待ちしています。
名前:横川雅喜(まさき)
1961年京都生まれ。育ちは南米と東京。現在、石川県金沢市在住。
職業:金沢ゲストハウスPongyi(ポンギー)のオーナー
経歴:元銀行員。脱サラするもうまくいかず人生に挫折。何もかもゼロになった状態でミャンマーで僧侶体験をする。
2009年、築140年の金沢町家を改装した金沢初のゲストハウス「ポンギー」をオープン。
15年の南米生活
幼少期から社会人まで合わせて15年間ほど、南米のパラグァイとブラジルに住んでました。
そのためか、よくのんびりで大陸的な性格だと言われてました。
そういえば、「大丈夫。それでも地球は回っている」が口ぐせだったと思います。
大学時代には、1ヶ月間のブラジル貧乏旅行で、アマゾン川を 1週間ほどかけて船上ハンモックで寝ながら下ったり(人生で一番ヒマな時間だった)、メキシコのユカタン半島を放浪したりしてました。
もと銀行員でした
外国為替専門銀行に 15年ほど勤めていました。
銀行では、支店での営業職のほか、ブラジル勤務で為替ディーラーをしたり、政府系機関に出向してODA(政府開発援助。開発途上国に対する援助)の業務に携わったりしていました。
海外出張をこなしながら年収は1,000万円を超え、結婚してマイホームも建てて、はたから見たら「上手くいってる」ような生活。
でも。。いつも心のどこかに「虚無感」のようなものがありました。
銀行辞めて脱サラするも失敗
その虚無感が大きくなったのは、勤めていた銀行が合併したときでした。
「自分が本当にやりたいことは何なんだろう?」
「このままの自分でいいんだろうか?」。。
揺れる心に妻が愛想をつかし、最愛の娘を連れて家をでていってしまいました。
糸がきれたように、15年間勤めた銀行を辞めました。
その後、2番目のパートナーとなる女性との出会いにより、その女性が立ち上げた自己診断やヒーリング・セラピーを手掛ける会社の経営に携わることになりました。
今までとは全く違った分野の仕事。
元トップモデルをしていた女性との華やかな都心暮らし。
「これでよかったんだ」
そう思えるようになったのもつかの間。。。
4年もたたないうちに会社がうまく回らなくなり、会社を辞めざるを得なくなり、その女性とも別れることになりました。
残ったのは数百万の借金だけ。。
安定した仕事(銀行)と家族、その後新しくチャレンジした仕事とパートナー、それまでのすべてを失ってしまいました。
絶望と孤独の中、それでも警備員や派遣社員として働きながらどうにか借金を返済しました。
息もできぬほど動けなくなった自分に動きだす力を与えてくれたのは、
「それでも息をしている」
と、こみ上げてきた一滴の「生きていることへの感謝」の気持ちでした。
その時私は40歳を過ぎていました。
ミャンマーで僧侶体験
~ある高僧との出会い~
絶望の日々の中、ある日本人ミャンマー高僧と出会いました。
その時、
「お前、坊主になってみるか?」
と言われたことで、ミャンマーで僧侶体験をすることになりました。
数ヶ月にも満たない短期間でしたが、この経験が自分の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
僅かばかりの貯金もアジアの子どもたちに寄付して、再度ゼロになって異国の地で自分を見つめ直すことにしました。
私「ミャンマーには何を持っていけばよいですか?」
高僧「何もいらん。ミャンマーの坊主は下着もつけん。」
ということで、ほとんど何も持たずにミャンマーへ。
お寺に行っても言葉も通じず、何をしてよいかもわからず、境内をホウキで掃いてばかりいました。
数日後、高僧から、
高僧 「お前、瞑想してるか?」
とたずねられたので、
私 「はい。してます。」
(あまり瞑想してませんでしたが。。)
と答え、(瞑想がいいのか、と)それから毎日ずっと瞑想してました。
静かに自分を見つめるだけでなく、お坊様が行っているNPOの奉仕活動にも参加させてもらったりしながら少しずつ、自分の しょーもない殻(エゴやプライドや執着)に気づいていきました。
僧侶体験の時や、帰国後に高僧から学んだことは別記事にして皆さんにお伝えします。
本業は自分 〜 ゼロになって見えたこと〜
数ヶ月にも満たない期間でしたが、僧侶体験で得たことの大きなひとつは、
「ありのままでいい、人と比較しないでいい、’本業は自分’でいけばいいんだ!」
ということに気がついたことでした。
それまで「自分はいったい何がしたいんだろう?」と、何をやっても 心のどこかにあった’虚無感’が、’生きる力’で満たされていくのを感じました。
ミャンマーの聖地・ゴールデンロックで瞑想した際、理由もなく涙が出てきた感覚をいまでも覚えています。
「本業は自分」でいいんだと気がついたあとは、どのような仕事をしようがどのような状況にあろうが、目の前のことに100%臨むことができるようになり、生きる歯車がかみ合いはじめてきました。
自分が活き活きと生き、他に対してプラスになる生き方をしよう。
頭で考えるだけでなく、損得抜きで実践する生き方をしよう。
そんな想いをもって日本に帰国。
NPO法人に従事して石川県小松市の過疎村に住みました。
そこで 2年半ほど活動をした後、拠点を金沢に移して再び(みたび?)ゼロから出発することにしました。
金沢ゲストハウスPongyi(ポンギー)をオープン!
昼は知り合いのカフェでアルバイトしたり、夜はスーパー銭湯で働いたりして貯めたほんの少しの資金をもとに、2009年に金沢で初のゲストハウス「Pongyi (ポンギー)」を金沢駅の近くにオープンしました。
「あっ、ゲストハウスやってみよう!」と、思い立ってから4カ月後にオープンできたのは、NPOやカフェやスーパー銭湯の仲間が手伝ってくれたから。
感謝しかありません。
ホテルのような設備はなく、相部屋があって3部屋のみで、ほんとに小さな普通の日本の古い家です。
でも、自分でも驚いていますが、なんと、2012年に世界最大の口コミサイト トリップアドバイザーで「外国人旅行者に人気の宿泊施設」で大手外資系ホテルに交じり、全国ランキングに選ばれたのです。
その後には、同じくトリップアドバイザーで2015年の石川県で一番泊まりたい宿に選ばれたり、2016年のNHK総合「ゆく年くる年」の全国 10か所の生放送中継地点のひとつとして選ばれたり。。。
「宇宙人でも泊まりにきていただいてOK!ポンギーでは肩書も、年齢も、国籍も、宗教もなし。みな同じ」とはじめた宿ですが、自然と外国人に人気となり、アットホームに交流できる宿としていろいろなメディアで紹介していただきました。
宿をオープンしてからずっと、ゲストさんお一人お一人から頂いたお宿代の中から100円を、アジアの貧困層に寄付してきました。
将来は、ミャンマーに自立支援のための宿泊施設をつくることが夢です。
厳しい営業環境と心筋梗塞
そんな状況も2020年の春から一変しました。
コロナの逆風を真っ向に受けたのです。
今も、お客様がほとんどこない日々が続いています。
少しでも前に進もうと「金沢オンラインツアー」をはじめたのですが。。。
2021年の夏、突然、心筋梗塞になって心臓の半分を失ってしまいました。
少し動くとへばってしまうため、今までのように外にでて金沢の観光名所をガイドをしたり、布団を上げ下げすることができません。
人生60歳にして、またまた訪れた大きな「難局」。
でも、今回は今までと違って自分がやりたいことがさらに明確になりました。
大切なのは
「人のハートだ!」(自分を愛し、他の人も尊重する)
世の中は人と人が遠ざかる方向に向かっていますが、ポンギーは「自分と人を思いやる心」を大切に、みなが交流できる宿として続けていこうと強く心に思っています。
〈ポンギーの理念〉
「すべての人々が生きる喜びに満たされますように」
(あるミャンマーの高僧の言葉)
半分になってしまった心臓がいつまでもつかわかりませんが、この理念とともにこれからも精一杯歩んでいこうと思っています。
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🛏 ポンギーまさきの宿はどんなとこ?↓