大学3年10月、就活を終えて。入学から休学・復学全てを振り返る
大学に入学したときから、就活に備えてガクチカを作れだの、社会人基礎力を意識した行動をしろだのと、散々見聞きしてきた。ネット上には選考対策に関する記事や動画が大量に転がっていて、それにいつも不安を煽られていた。
だというのに、私の就活とやらは、3年生の10月で呆気なく終わってしまった。
というわけで、大学に入学してからの遍歴と、就活対策についてまとめてみる。対策というほど対策をしていないし、そんなに有名な企業でもないが、こんな就活の仕方もあるんだな、くらいに留めていただけると幸いである。
大学1年生(2021)
第一志望の大学に前期試験で落ち、第五志望くらいだった今の大学に後期試験で入学した。その落差がどうしても悔しくて、このままでは「立派」な人間になれない、どうにかして社会に認められる人間にならなければ、と入学した時から焦っていた。
サークルは、将来的にガクチカになりそうなボランティア団体(ただの支援活動ではなく、収益を得てそれを開発途上国に寄付するというビジネスモデル)に入った。下手に自分の好きなものを追いかけるより、その方が世間体よく聞こえるだろう、という何とも浅はかな理由だった。
とはいえ当時はコロナ禍真っ最中だったので、1年生の前期は全てオンラインでの活動で、団体のメンバーと初めて対面で顔を合わせたのは1年生の11月頃だった。その後も情勢の影響で活動している実感はほぼ得られず、パソコンの前で何かをやっている気になっていながらその実何もやっていないということに悶々としていた。
身内に教員が多かったこともあり、当時自分は必然的に公務員になるものだと思っていたので、なぜか1年生のくせに、学校から案内のある公務員セミナー(オンライン)に積極的に参加していた。県庁、国家一般職など。
さらに、不安症なので公務員試験に落ちたら行き場がないだろうと心配になり、1年生のくせにサマーインターンの1dayのものに2つほど参加した。業界など全く分からなかったので、とりあえず人材とITで1社ずつ。この時点で自分にITは向いていないだろうなと悟った。
また、大学生たるものアルバイトをしなければならない、という固定観念があったので必死にアルバイトに応募した。が、授業の兼ね合いや大学周辺のバイト競争率の高さもあり、5社ほど落ち続けた。仕方ないのでクラウドワークスで安価なライティングやアンケート回答をして、月に千円ほどという小遣いにもならない額を稼いだ。
幸いにも11月に飲食店のバイトに採用され、そこから長く働くことになる。
同時期に応募した春休み限定の短期バイトにも採用され、提案営業を経験した。ここで、自分が価値を感じていないサービスを売り続ける苦しさを感じ、営業に自分が向いていないことを知った。
大学2年生(2022)
上記したサークルの執行代となり、対面での活動も増えてきたので、そちらに割かれる時間が多くなった。しかし、他のメンバーに比べると仕事量は少なく、自分がそこにいる意味を見失い、ガクチカを作りたいのにガクチカとして出せるような一貫性のあることをしていないことが苦しくなった。
そこで手をつけたのがいくつかある。
①留学生への日本語サポートのアルバイト
週2回×1h、留学生が授業で分からなかった点について聞いて用例を確認したり、一緒に文章を考えたりするというもの。これは本当にいい刺激になった。ネイティブとして当たり前のように話している日本語が、学習者向けにはこのように体系化されていて、また彼らが躓くポイントにはそれぞれの母語の影響があることを知った。ただ、活動をしながらも、自分に知識がなく充分に教えられないのでガクチカにはならないだろうな、という引け目があった。
②外国にルーツのある子どもたちを支えるボランティア団体
6月くらいに説明会に参加し、イベントサポートをするライトな立場で入った。
本当は会議にもしっかり参加して関わりたかったが、飲食店のアルバイトと会議の日程が全て重なったので、深くかかわることはできなかった。結果的にここでは3回ほどイベントのサポートをした。児童を相手に動くことが初めてだったので、教員志望の周りの人たちに比べ子どもの相手が上手くできないことに悩んだが、外国にルーツを持つ子たちの生活の現状や市内の外国人比率の高さなどを知り、大学だけに捕われない学びができた。
③寮のフロアリーダー
大学2年生まで大学寮に入っていた。そこでは毎年同じ階の2年生の誰かがフロアリーダーとしてごみ当番を決めたり寮全体の管理をしたりすることが求められていた。フロアリーダーを経験していれば翌年も入寮できるという特権があり、お金を少しでも節約したかったので立候補した(結果的には2年で寮を出た)。
私がフロアリーダーの年には留学生が階の3分の1程度を占めるほど入寮したため、ごみ問題や騒音などの問題が発生した。正直なところ、当時色々なことに手を出しすぎて忙しかったこともあり、生活で起こるちょっとしたストレスに耐え切れなくなっていた。日本文化と彼らの文化の違いを知るのは面白かったが、毎日の生活となってくると楽しいだけでは終わらない。結果、LINEで日々注意し続けるだけの嫌なリーダーになってしまった。
このように、2年生で手をつけたことの大半もまた、1年生で入ったサークルと同様に中途半端で、一貫性がないことに苦しんだ。
就活はと言えば、2年生の夏には8社のサマーインターン(先着順・ワンデー)に参加した。当時もよく分からなかったので、人材、食品、電力、官公庁・団体など日程が合うものにとりあえず参加した。この年くらいから、グルディスでの立ち回りなどを少し経験し、実際の就活を意識し始めた。相変わらず公務員のオンラインセミナーにも時間が合う限り参加した。
当時も公務員になる気満々だったので、12月頃からは大学が主催する公務員講座(2年生向け)を受講し始めた。しかし、上記したような様々な活動と、授業、アルバイトなどであまりにも忙しく、公務員講座に割く余裕がなくなり、完全にキャパオーバーとなっていた。結果、講座の受講を途中で放棄し、受講日数が少ないという警告も無視して部屋にこもり続ける生活が続いた。
大学3年前期(2023.4~9)
2年生のときに完全にキャパオーバーになってダウンし、常に「ここから逃げなくてはならない」という気持ちに苛まれ続けていた。そんなとき、休学して自分のしたいことにチャレンジできるプログラムを見つけ、絶対に在学中に参加してやると決めていた。
授業の時間割の都合上早くても休学は3年後期からだな、と分かっていたので、前期は単位をしっかり取ることに専念した。休学するという目的が見えていたので、このときはそこに全てをかけていた。
幸いにも所属していたサークルは3年4月で引退だったので、2年生後期のような忙しさから少し解放された。授業の演習が忙しくなったものの、飲食店・日本語支援・研究補助の3つのアルバイトをこなしながら何とか生活を回した。
休学することは決めていたものの、就活をある程度経験しておきたいと思ったので、10社ほどサマーインターンに参加した。初めてESというものを書き、適性検査も経験した。休学するので気持ちの余裕を持ちながらグルディス等に参加し、流れを掴んでいった。当時参加したのは、財団法人・電力・メディア・交通・海運あたり。
休学することはごく一部の人にしか伝えていなかったので、あたかも就活してますよ、みたいな体で周りには接していた。
この当時は、就職して何をやりたいかよりも、未知の土地で生活する期待にあふれており、将来のことはそこに行って考えればいい、なんならそこで就職してもいい、という気持ちになっていた。ある意味投げやりでもあり、ある意味希望でいっぱいでもあり。
また、卒論の指導教員を決める時期になっていたので、隙間時間を割いて先行研究を探したり、先生にアポをとって面談したりしていた。普通は3年10月までに決めればいいのだが、休学して土地を離れる関係上、7~9月上旬の間に急いでせねばならず、常に焦っていた。
さらに9月上旬には、岡山の山間地域での生活を体験するプログラムにも参加し、地域での実践活動のプレ体験をした。大学の都市的な生活に心底嫌気がさしていたので、人の少ない地域でじっくり向き合える喜びを感じ、これからの休学生活に期待を持つようになった。
岡山から戻った後は飲食店バイトをしつつ、休学生活の準備を着々と進めていた。
休学(2023.10~2024.9)
晴れて休学し、大学を離れた。自分が常に空っぽの状態のまま外堀だけ埋めていることが嫌で仕方なかったので、それを埋めるだけの社会経験をしたいと思っていた。
この1年間は、まさにそれがかなった、人生において何よりも充実した期間だったと思う。
休学期間はざっくりと以下3つの期間に分かれる。
それぞれの内容については詳述しないが、①②は自分の特性を理解し、視野を一気に広げる契機となった。半社会人として地域に身を置いて働くことで、自分は0→1が苦手であること、他の人より論理的思考力は高いであろうこと、組織で働くうえでは綿密なコミュニケーションが重要であること(特に若者は文章ベースでやり取りしがちだが上の世代には電話や対面でのコミュニケーションが重要とされること)、枝葉よりも全体を見て動かないと後で迷惑をかけることなど、本当に多くの学びを得た。
また、それまでの私は旅行=贅沢ととらえ、大学からの逃避行動(?)以外で遠出することはなかったが、この経験から、どんなに遠く見える場所でもお金と時間さえかければいつでも行くことができること、自分はそれくらいのことをしても許される人間であること(自己肯定感が低かったので自分にはそんなことは許されないと長年思いこんできた)が分かった。はっきり言うと、今まで自分を縛っていた様々なものから解放されたのである。
私は自分がしたいことを、したいときに優先していいし、それをする権利がある。
ただそれだけのことが、これまでの20数年間、ずっと分からなかったことに気づいた。
加えて、島根でも新潟でも、本当に多くの人の人生遍歴をお聞きする機会に恵まれた。人生は必ずしもストレートではなくて、皆紆余曲折を経てそこに立っていることが分かって、なんだあ、という気になった。
大学入試で失敗していつまでも立ち直れないと思っていたけれど、別にそれでも良かったのだ。誰かが批判しようとも、それが自分が歩いてきた道であって。どこかで軌道修正をかけても良かったのだ、退学したって編入したって良かったのだ、別に。
そのことが分かって、まっすぐ歩いてこなくたってよかったんだと楽になった。自己批判をするしかなかったこれまでの人生を、少しだけ肯定することができた。これまで、何にも一貫性がなくて全てが中途半端なことを嘆いていた。でも、それ全部が無駄だったわけではなく、うっすらどこかで繋がっているし経験自体は無駄ではなかった。
じゃあこれからは、好きなもの、したいことを、思う存分してみよう。それが間違っていたら、どこかで軌道修正をかければいい、という気になった。とにかく今までの縛りを抜けて、解放された1年だった。
就活本番(2024.8~9)
そんなわけで、遂に迎えた就活本番の夏は、興味のあることをとことんすることにした。
相変わらず不安症なので、サマーインターンは20社ほど参加した。選考があったものは8社ほど(残念ながら2社は落ちた)。自分は大手なんて行けるような人間ではないと卑屈になっていたもののとりあえずで出してみたESが呆気なく通過したときは、拍子抜けした。勿論それは四国の企業という倍率の低いところが多かったからで、本州のいかにもな有名大手には通らなかったと思う。何せ選考対策を全くしていなかったのだから。全て自己流で書いたが、休学経験が支えになり、志望動機にも深みを持たせられたと思っている。
参加したインターンでも、他の人とは違って経歴が特殊なので、自己紹介で存分にアピールでき、特徴的な子だとして覚えてもらうきっかけになった(ただし、業界研究・企業研究はさっぱりだったので、グループワークでは全く役に立てなかったという苦い経験をした)。
ちなみに選考を通過したものは以下。
・電力(経営企画・2days)
・鉄道(運輸系と事業開発・合わせて2days)
・財団(1day)×2
・造船(3days)※台風でオンライン1dayに変更
・市役所(5days)
同時期、やはり不安に駆られていたので、就活エージェントのキャリアチケットと、学内の就活支援団体エンカレッジにも登録。自分の強み・弱みを洗い出してもらい、それぞれでセミナーに参加したり、エージェントには企業紹介をされ、2社選考に進んだ(全く興味なかったものの練習台として利用した。2次面接まで通過したが、自分で応募した企業に内定をいただいたのでその後辞退した)。
インターンに参加したうち、1社は8月から早期選考を開始するとのことだったので、合間を縫って履歴書を作成、大学のキャリアセンターに添削してもらったものを送付。書類選考を通過し、9月から面接が始まった。
1次面接は30分くらいかな~と思っていたらまさかの80分。失礼なことに殆ど選考対策をしていなかったのでしどろもどろになりつつ、何とか乗り切り通過。
その後適性検査やWEB面談を経て、迎えた最終面接はなんと、2時間まるまるあった。何としても受かりたい、という気持ちだったので、ニュースを常日頃からチェックし、会社の歴史もしっかりインプットして臨み、内定をゲット。10月中旬に連絡すると言われていたが、実際に連絡が来たのは10月の頭だった。
内定を承諾しようかまだ続けるか、というのは本当に悩んだ。何せ、まだ1社しか受けていない。もっと可能性があるのではないか、サマーインターンで行った会社に行く選択肢もいくらでもあるし…。
ただ、会社の内容・業界からして、自分が一番興味が惹かれるのはこの会社以外になかった。中小企業なので福利厚生は大手に比べるとそこまでいいわけでもなかったが、最後に思い出したのは休学中のこと。
自分がしたいこと、好きなことを優先してもいいということ。
希望していた他の会社であれば、中途入社もできる。でもこの会社は新卒のみ。ここでこの会社以外に入社して、自分は後悔しないだろうか?消費者としてその会社を見続けるだけでいいのか…。休学中の経験を一番生かせるのはここではないだろうか…。
あれこれ考えた結果、内定承諾することに、決めた。
最後に
その選択が正しかったかどうかは、よく分からない。でも、自分の気持ちが向いている方向に行こうと思った。私は休学を経て、そういうことができるようになったらしかった。会社の名前・体裁がどうこうではなく。やりたいことに全力投資しようと決めた。
他の人の話を聞くと、もっと就活対策に力を入れたようだ。スプレッドシートに1企業ずつ情報をまとめたり、GD対策を毎日したり、面接練習を録画しながら繰り返ししたり。
私はそういうことは一切せず、ありのままの自分で臨むことしかしなかった。結果的に楽をしたと言われれば、そうだと思う。でも、無理に着飾って、ありもしない「本当の自分」を過去と結びつけて呈示するよりも、そのままを肯定してくれる今の会社がちょうど身の丈に合うのではないかと思った。大企業のような同期が100人もいる環境ではまた周りに合わせようとして潰れてしまうし、そうなるくらいなら小さくても自分を発揮できる環境が良かった。
自分にちょうどいいサイズ感、ちょうどいいところ。
後悔するかもしれない、なんでそんな小さいところにと。
元同期が大企業や県庁、市役所、国家公務員に受かっているので、そこと比べると苦しくなる。でも結局、価値は自分の中にしかない。
とりあえず、自分が信じた道を行くしかないな、と思う。