今日のASD 「車の中の和男」
ペアを組んでいる女上司は、今日も黙ったまま助手席で瞑想するように目をつぶっている。『きっと何か言いたいんだ』と和男は思う。でも自分から話すのはなぜか『負けたような気持ちになる』から嫌だった。
『悪くないのになんで謝らなくちゃならないんだ?』『今まで俺は間違ったことはいっさいしていない』『なのにいつも俺がやることにいちいち文句を言うなんて』『俺がいなくなったら、この訪看ステーションは成り立たないだろう』俺は仕事だけはできるんだ。だから辞めさせられないはずだ。いや待てよ・・・。
和男の頭の中でいくつもの文句が水族館の回遊魚のようにぐるぐると回る。
二人とも無言のまま利用者さんのところに着く。患者さんはみんな俺のことが好きなはずだ。まあ、嫌いな患者のところには行かないからいいんだ。今日は新規の利用者さんに会う日だけど、朝から上司に「怖い顔しないで」と【どなられた】だから無性に腹が立っている。いやどなられたというのは間違いかもしれない。だけど俺は怖い顔なんかしていない。しているとしたら、上司が車の中で俺を無視して黙っていたからだ。俺は悪くないんだ。だから謝らない。
和男の頭には他人の気持ちが入る余地がない、自分だけのことしかないのだ。
和男はそれでも仕事だけはうまくこなそうとして自分なりの笑顔でがんばった。しかし上司は褒めてくれるどころかまた車の中で黙り込んでいる。何か自分が悪いことでもしたのかと思うほどに。不安になって休憩の時、上司が好きなプリンを買ってきた。俺を切り捨てることはできないだろう。でも何も言われないと不安になる。だからプリンだ。
にやりと笑って和男にお礼をいうと、上司は美味しそうにプリンを食べた。
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