ギフトと共感コミュニケーション
時代背景と前提条件
《概念の分解》
これから、私のこのライフワークを、noteに投稿していくわけですが、これを行うにあたって幾つか前提のご説明をしなければなりません。
少し話が逸れますが、私は歴史が好きです。
あまり広い範囲を得意とはしていませんが、歴史の出来事を妄想する事も、ライフワークの一つです。
古今東西問わず、歴史の出来事を理解しようとする際、その時代の価値観や背景を考慮せず、現代の価値観で読み解こうとしても、難しいものがあります。
その時代の風習 宗教 常識 教育水準 心理等々、現代と見比べた場合、かなりの違いがある筈です。
当然、その時代を直接見る事が出来るわけではありませんので、はっきりと理解するのは不可能ですが、《時代背景》と《前提条件》この2つをツールとして使えば、その出来事を違った角度から眺める事が可能です。
例えば、日本の戦国期の戦いを見る際に、職業軍人であるのか それとも一般民が武装した兵であるのかと言う前提条件は、見方を大きく変えます。
戦国期であっても、人を殺めた経験がある人はそこまで多い訳ではないからです。
人を殺めた経験を持ち自分自身も殺される覚悟のある職業軍人と、経験も覚悟もない一般民とが戦えば、仮に一般民の方が数で優っていたとしても、勝つ事は難しいでしょう。
こういった歴史の出来事と同じく、概念を読み解こうとする際にも、背景と前提条件を必要とします。
ただ、現代の背景と前提条件といっても、その全てを網羅しようとする事は学問の世界になってしまい、私の様な勉強嫌いの人間には扱いきれませんので、今日はそのうちの2つ。
《ギフト》と《共感コミュニケーション》に、触れてみたいと思います。
どうぞ、お付き合いくださいませ。
ギフト
人生を歩いていく道中、我々は様々な人々のお世話になり、また様々な人々のお世話をして、縁を紡いでいきます。
その行動を《与える事 与えられる事》とし、便宜上《ギフト》と呼びたいと思います。
ギフトは、お中元やお歳暮 奢ってもらった缶コーヒー等の【形のあるもの】と、心配してくれた 仕事や生き方を教えてくれた 愛情など、【形のないもの】に分ける事が出来ます。
ギフトをくれた相手に直接返す事もあれば、他の誰かに渡す事もあり、そうやって広がっていった人の輪が何かを描く事もあります。
それを目にする事は、人生の醍醐味の一つと言えるかもしれません。
この《ギフト》ですが、循環させる事が何よりも大切で、貰ってばかりではいけないという性質があります。
《返す》か《渡す》か、どちらかを行い、自分で止めない。滞らせない。次に流していく。
返すも渡すも選択しない場合、その人の人生は行き詰まってしまう恐れもあります。
とはいえ、難しく考える必要はなく、教育水準や道徳レベルが高い現代では、誰もが自然とそれを行なっていると思います。
《過剰なギフト》と言う問題を孕んではいますが、それはまた別の機会に。
《ギフト》🟰《与える 与えられる事》は、社会において絶対に欠かす事の出来ない要素です。
日常の中で、少しだけ《与える事》を増やすだけで、急に物事がスムーズに進むなんて事も、よくあります。
共感コミュニケーション
2つめは、《共感コミュニケーション》です。
人は、他人と同じ気持ちになる、もしくは自分の気持ちを他人が理解してくれる《共感》という感情を必要とします。
これが不足すると心が病む事もあり、心の必須栄養素の一つと言っても良いのかもしれません。
人は【群れ】で生きていくタイプの動物であり、社会というコミュニティの集まりが【群れ】です。
その為、生きていく為に必要不可欠である、この《共感》という栄養素は、【群れ】の中で容易に摂取出来る様、システム化されています。
その中で最も代表的なものが【あいさつ】です。
A『おはようございます。良いお天気ですね。』
B『おはようございます。本当に良いお天気で、何か良い事がありそうですね。』
このやり取りだけで、摂取出来ます。
ポイントは、【同じ捉え方】と【同じ言葉】を使う事です。
この場合は、
【同じ捉え方】→天気は晴れで気持ちが良い
【同じ言葉】 →良いお天気
となります。
【あいさつ】で共感を得られると言うよりは、必要不可欠であり毎日摂取する事が望ましい《共感》を、手軽に確実にお互いが摂取しやすい様に発達したものが、【あいさつ】なのかもしれません。
他にも、昨日見たTVの番組の話や食事の内容など、日常の至る所に、《共感》を摂取する為の方法は用意されています。
《共感》は、個人の思想や考え方、それぞれの価値観で得ようとすると難易度が上がり、他人とは意見が異なる事も多い為、特に職場等の利害が発生するコミュニティでは、摂取する事が困難になる傾向があります。
ただし、《共感》には、【深い内容である必要がない】と言う特徴がありますので、上記の【あいさつ】の様に【同じ捉え方】【同じ言葉】によって、容易に摂取出来ます。
注意点としては、《共感》を得る為の言動は、《共感》を得る事だけを目的としていますので、そこに【意見】を足してしまうと、思わぬ結果となる場合があります。
上記の【あいさつ】を例にしますと、
A『おはようございます。良いお天気ですね。』
に対し、
B『あ、どうも。天気が良いと暑いので、嫌なんですよね。』と返したとすると、AにとってもBにとっても《共感》を、得る事が出来ません。
当然、2人の関係性に依存しますので、必ずしも不快に感じるケースとは言い切れませんが、顔見知り程度の仲であった場合は、どう捉えられるかは分かりません。
多くの場合は、先に【あいさつ】をしたAの方が、『本当に、毎日暑いですよね。気を付けてくださいね。』と、Bに対して《共感》を渡して終わりになるのですが、その後のAの捉え方によっては、【Bは変わった人】となる可能性もあります。
何故ならば、【あいさつ】は感じた事を【意見】として交わす場ではなく、誰しもが同じ感想を持つであろう事柄を、【同じ捉え方】【同じ言葉】で交換し、《共感》を得る為の場であるからです。
Aの【あいさつ】に対し、Bは【あいさつ】ではなく、【意見】で対応していますので、食い違いが生じてしまい、《共感》は摂取出来なかったという結果になる為、Aがそれをどう捉えるかは分かりません。
これは、【この人は、味方なのかそうでないのか】を確認する事にも繋がっており、《共感》を得ると同時に【自分にとって害をなす人間かどうか】を【あいさつ】を通して、無意識に確認しています。
動物的本能としての、【同じ言動をする個体は味方である】【その他の個体は、排除対象となる】に起因するのではないかと思われ、日本で一時期話題となった【同調圧力】にも関係していると思われます。
本来、敵味方など存在せず、自分の見ている世界は自分が作り出したものであるといった、哲学的な思考回路には賛同したい所ではありますが、利害に縛られ精神的な豊かさを見過ごしがちの現代では、非常に難易度の高い課題と言わざるを得ないでしょう。
《共感》自体は、生きる為に必要ではありますが、【強制的に共感を求める行為】は、不自然であり不健康です。
《共感》本来の役目を意識して生きていく事が出来れば、少しは過ごしやすくなりそうですが、何か歪な《共感》に似た存在に邪魔をされ、生きづらさを感じる人が増えている気もします。
《共感》は、水や食料と同じく生きていく為に絶対必要な要素ですから、《共感》を商品としたサービスも存在します。
スナックやキャバクラ、ホストクラブ等が、代表的な形でしょう。
【あいさつ】程度では、必要量が摂取出来なくなり、【共感不足】から【承認欲求】に症状が進んでしまうと、日常生活に支障をきたしてしまいます。
それを防ぐ為に、上記の職業が存在しており、社会コミュニティのバランスを保つ役割を担っています。
稀に、【サービス】である事を忘れ、トラブルに発展するケースもありますが、それを踏まえても社会貢献度が高いサービスであり、無くなる事がない職業かと思います。
最後に
少し話が逸れましたが、《概念の分解》を行うにあたって必要になる《背景》と《前提条件》のうち、今後最も関わりが深くなるであろう《ギフト》と《共感コミュニケーション》に触れてみました。
この2つは、国によって文化や宗教、教育水準も違う中、人類共通のテーマだと考えます。
全人類共通の事柄は、たくさんあるとは思いますが、《概念の分解》を行うにあたり必要となるツールを説明させて頂きました。
それでは、今日はこの辺りで。
最後まで、お読み頂き、ありがとうございました😊