見出し画像

脱力が大事と言っても貧弱脆弱と同一視したくない。

【脱力と困惑】


「脱力」と一口にしても、その解釈、定義付けなど、かなり曖昧な印象も強い。考えてる事、実践してる事、結構バラバラだと感じるのも珍しくない。

それこそ「もっと力抜けよ!チカラをよぉ!」なんてまぁ、実に高圧的に、硬直的に、力強~くアドバイスをもらった経験のある人なんかも、少なからずいるんじゃないかと。

「え?具体的に何すんの?」

「いや、だからどうすんの?」

「何も分かんないんだけど?」

そうして困惑が生まれていくなど、よくある話ではないかと思う。


考えれば考えるほどむしろ、体も脳も固まっていく気がする、そんな厄介な【脱力】という目標と概念。

脱力とは何なのか?

何をするものなのか?

意識的と無意識のどちらが理想なのか?

いざ色々話そうにも正直、自分もイメージ先行、どうにも曖昧に認識しているなと痛感する。

筋肉、骨、肉体の構造など、その辺りについても勉強不足だし、具体的な説明は出来ない。

簡単に言うけれど、なかなか実践できない、わけが分からない、何がなんだか難しい、そんな謎ばかりな【脱力】って存在と概念。

その疑問などについて、ちょっと考えていってみたい。


【脱力=脆弱貧弱が理想ではない】


様々な脱力論があるだろう、この世の中。

瞬発力やスピードを得る為、より効率的に強い力を得る為、脱力状態にするのが重要だと言うのは、目的としても目標としても分かりやすい。

だからこそ、いざ実践する際、

【だらけて無気力に】

こんな風に捉えるのは、どう考えても違うだろうと。

ほにゃほにゃ、ダラダラ、グズグズになりゃいいなんてわけがないし、それが理想になるはずもない。

ここから先は

3,084字
この記事のみ ¥ 300
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

読んで頂きありがとうございます。サポートして頂けると今後の力になります。