スティーブ・ジョブズはソシオパスではないだろうか
スティーブ・ジョブズ氏の映像タイトル Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ) を観ました。
先に言ってしまうとスティーブ・ジョブズはソシオパスでは?と思ったというのが正直な感想です。
そして、この映像を観て不完全燃焼だと感じました。
なぜソシオパスだと思ったのか。
不完全燃焼のことについても、例のサイコパスと比較してお話ししたいと思います。
ソシオパスとは
・サイコパス→生まれ持った性格や気質といった先天的なもの(治療不可)
・ソシオパス→ 親の育て方や育った環境などよる後天的なもの(治療可能)
良心が欠如していることなどの共通点から、サイコパスとソシオパスは一般的にはほぼ同じものとして扱われることが多いようです。
しかし、私としてはサイコパスとソシオパスではまったくの別物であると思っています。
元々は人間らしい思考を持って生まれたものの、環境によりサイコパスのような冷血思考になってしまったというのがソシオパスの特徴です。
一方で、サイコパスは生まれた時から冷血思考を持っています。
ソシオパスであれば一時はどれだけ冷血な人間になろうとも、環境の変化によりまた心を取り戻すことも不可能では無いということです。
スティーブ・ジョブズはソシオパスでは?
今回この Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ) を観て、あのサイコパス とサイコパス要素を比較しましたが、大きく異なると感じました。
スティーブ・ジョブズ氏はサイコパスだと書かれている例が多く見られますが、私としては、サイコパスのような思考を持つ可能性を秘めていたソシオパスなのでは?と思ったのが正直なところです。
なぜそう思ったのか、理由を挙げます。
・ ローレン・パウエルとの恋愛
ローレン・パウエルと恋愛ができている点でサイコパスとは異なると思いました。
サイコパスは、相手女性の実家が資産家であるなどの大金を持っている、事業を行う上で有利になる力を持っている、といった自分にとって大きなメリットがなければ結婚相手として見なしません。
サイコパスからしてみれば、お金を消費するだけの相手と一緒に暮らしたりはしないと思います。
にも関わらず、ローレン・パウエルさんとスティーブ・ジョブズ氏は途中から一緒に暮らし、時間を共にしています。
彼女はそういった、何らかのメリットを持った女性に当てはまっていたのでしょうか。
・Lisaがお腹にいると聞いて少しでも苦悩した
サイコパスであれば、お金、権力、快楽が脳内のほぼ100%を占めており、自分に娘ができたことに対して“苦悩”したりはしません。
確かに「勝手に育てろ、俺には関係がない」とローレン・パウエルさんには言い放ちますが、その後娘のことについてスティーブ・ジョブズ氏は苦悩しています。
(サイコパスの特徴・裏側について でも話しましたが、サイコパスの場合は家族を一切無関係な他人であると認識していました)。
・開発初期から携わっていたスティーブ・ウォズニアックが辞めると聞いて目に涙を溜めた
「初期から一緒に頑張ってきた」という“人に対する思い入れの感情”はサイコパスにはありません。
スティーブ・ジョブズはスティーブ・ウォズニアックのことを少しは友達だと思っていたのではないかと思いますが、本当のサイコパスに友達や仲間はいません。
もし目に涙を溜めるような事があるのであれば、スティーブ・ウォズニアックが辞めたことに対してではなく、“これから利用するための人材が抜けた、事業が上手くいかなくなるという非効率さ”に対して涙を浮かべるのだと思います。
・一緒に仕事をするメンバーのことを信頼することができる
サイコパスは働いている人間に関わらず、自分以外の人間の事は信頼ができない様子でした。自分と同じ考えを持った人であったとしても共感はできないため、信頼するところまでは行きません。
その点、スティーブ・ジョブズ氏は製品開発にあたり、思想を仲間と共有していました。
仕事をやっていく仲間の位置づけをまとめると、こうなるそうです。
・ソシオパス→自分の思想と同じであるかどうかが重要
・サイコパス→共感されようがされまいが利用できるかどうかを優先
・精神面での危うさがある
Apple社から外された時にスティーブ・ジョブズ氏は家族に涙を見せて、その後ローレン・パウエルさんと暮らすといった精神面での危うさが見られました。
何度も言いますが、サイコパスはその場で責め立てたり罪を相手になすり付けるだけで、心で涙は流しません。
おそらくですがサイコパスの場合は、急に会社から外されそうになったらその場で土下座したり嘘の涙を流して見せたりして、Apple社に社員としてでも残る手段を取ると思います。
サイコパスは自分の手元に何も残らない損する立場を嫌うからです。
辞める時は充分な計画を練ってから、自らの意思で辞めると思います。
※全体的にサイコパスのことを非常に悪く表現しておりますが、やはり経営者など人の上に立つ立場であればサイコパスの行動が有利になると思います。
参照⇒ ソシオパスとサイコパスの違い
本物のスティーブ・ジョブズが知りたい
Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ) の映像は、彼を知る上で必要な有名なシーンの数々を大きく端折っていました。
娘のLisaとは一度離れて暮らしていたものの、画面が切り替わると急に一緒に暮らしているシーンになるなど、重要な要素が簡単に済ませられています。
有線電話をずっと持ち歩いたり使いにくいミュージック機器を捨てるシーンが画面上でピックアップされているにも関わらず、肝心のiPodやiPhoneの開発シーンがありません。
はじめの頃の様子を引き延ばしすぎて最後で時間が足りなくなってしまい、後半の話を端折ってそれとなく終わらせるような流れでした。
まるで私の文章みたいです。
どちらかというともっと激怒し罵倒し討論して、サイコパスであることを全面的に出すことで、サイコパスを身近で見たことがない視聴者に恐怖を感じさせてほしかった。
Apple社の裏側ではこんな苦悩があり、あの革新的な製品が世に出たのだ、という流れがもっと知りたかった。
(私は本物のサイコパスを見てしまいましたが、もし知らなかった時にこの映像を観ても恐怖は感じにくかったのでは、と思いました)。
「スティーブ・ジョブズ、やはり大嫌い。もう私、Apple製品全て使うの辞めます!!」と思うくらいの人物像であると認識していたのだけれど。
映像を観た限りではスティーブ・ジョブズ氏は仕事に集中力が全て注がれているだけで、周囲の人間にはさほど害が無いと感じました。
もしかしたら、本物のスティーブ・ジョブズ氏は本当のサイコパスであるはずが、この映像をつくる上で本人に配慮して、一般的に受け入れられにくいであろうシーンをカットし、素晴らしい人であるという括りで終わらせたかったのかもしれないとも思いました。
この映像では、スティーブ・ジョブズという人物像を知る上では不完全燃焼でした。
特にネット上ではサイコパスと言えばスティーブ・ジョブズを見本によく語られているからこそ、そう思ってしまいます。
現時点ではソシオパスにしか見えませんでした。
もしかしたら、この映像は時系列を追うためだけの作品であったのかもしれません。
スティーブ・ジョブズという人物像についてそのまま表現された、いいメディアはないでしょうか。
また、スティーブ・ジョブズ氏に関する本をあらためて読むべきではないかと考えています。
次の記事⇒ サイコパス同士はどこまで行動が似ているのか