夏がきらいです、夏に消えるひとはもっと
覆水盆に返らずとは_______
ここから始まるnoteはいくつか前に書いたよな
もうずっとそんなこころ持ちが続いているのでしょう
ゲリラ豪雨がいつのまにかゲリラ雷雨と呼ばれるようになり、梅雨と夏の境目も曖昧なままの湿度と茹だるような暑さがすべてを気怠くしてしまう季節、亜熱帯になってしまった島国で、台風がくると連日言われながらただ気圧がすべてを圧しつぶしてしまうだけの毎日で
全部手の届かないところに行ってくれたらわたしは平気になると知った
だから懸け捨ての命は惜しくないしわたしが懸けたぶん遠くへ行ってくれないと困るんだよな
何度も「そちら側」を選びそうになってそれでもギリギリのところで息をしている蝉が息絶える瞬間みたいに今年の夏はあっけらかんと終わった
そういえばことしは蝉の声、聞いてない気がする
世界を真っ二つになんてしたくなかったね
誰もが望んでいなかった方へ それが光のないと呼ばれるのならそうかもしれないし、さよならの時間だと言われればそれもまた、そうなのでしょう
わたしはわたしの加虐性を知っているからそれ故に、他人が加虐性を自認していないことがわかった瞬間に諦めてしまうすべてを
わからないひとのために使う言葉もこころもわたしにはないんだよ ばかだね
わたしたちだけがわかっていればいい関係性、あるいはわたしたちだけで完結すればいいことだからというのはごた御託の綺麗事にすぎず、ひととひとが関わるということについて1対1だけでは終わらせられない他者の存在や外的なものごとへの気遣いなんて思っている以上に必要だってことわかってないならそれ、向いてないよ
介在していないとて存在するものへの加害性を自分はいつだって被害者ではなく加害者になり得るあるいは既にそうであるということは常に自分の中に留めておかないと足元、掬われますよ
地獄を地獄のままにできなかったことを良かったと思うか否かは結果論でしかないから地獄のまままたひとつ季節をやり過ごせてそれは良かったと言えるのでしょう
あったかもしれない世界線が消えてしまい、ズレてしまった現在を踏みつけて背負ってなお報われることなんてないんだよ、それがひとの業だから
業の深さのぶんだけひとは強くなってしまうしそうある「べき」を自分に課すからやるせないね
だってその荷物を捨てたところで何も残らないんだもの
あなたもわたしもお前もきみもそう、捨てられなかった記憶もそれが夏だからべったりと貼り付いて自他境界の曖昧さに連れて行かれそうになってまちがって振り返ってそしたら蜃気楼みたいにそこにきっと在るのでしょう
キラキラなんてしてない死んだ目をした夏の塊が
どうぞ道中お気をつけて、目の前を黒猫がとおったとて運命は変わらないことをお忘れなく
𝓛𝓾𝓿 (𝓼𝓲𝓬)
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