【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第十六回【書き下ろし】
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二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
【六把目】「うそ」は流れて、カマボコ板の舟~其之一~
昼休み、といえばついこの間までは「十二時から始まる、空白の一時間」の事を言うのだと思っていた。
確かにそれは多くの人に当てはまることなのだけど、こと労働者に至ってはその基準に沿っている人が大多数とは言い難いのではないかしら。
なぜならば、私とおばあちゃんの――下町の小さな小さな御蕎麦屋さんの昼休みは遅い。
かなり、遅い。
たまに「無かったことに……」なんて事態になって、昼食を食べ損ねることもあるくらいだ。
その日はランチタイムが大賑わいで、暖簾を裏返すタイミングをすっかり忘れてしまっていた。
最後の一組様と入れ替わるように御新規様がお入りになり、今度こそ最後の……と思ってテーブルを片付けていると「いやあ、今日は昼飯抜きかと思った!」と御常連さんが引き戸をガラッと開けていらっしゃる。そんなことを二度三度と繰り返すうち、自分自身の栄養補給のことは遠い国の珍しい習慣くらいのことに思えてきていた。
いつもより多くのお客様を捌いてへとへとになり、空腹を空腹として感じる脳味噌の機能がストライキを起こして、半分意識が朦朧とする。テーブルを拭き上げる手は絡繰り人形が人間の真似事をするかのように、ほぼ自動的と言っていい弱弱しい動作を繰り返していたので、手の甲と手首と肘に三人官女がまとわりついている幻影が見えたって大して驚かなかった。
――ほれほれ、がんばれ。
――よいしょ、よいしょ。
――女将が旨いものを作っていますゆえ。
ふと、小鼻をくすぐる良い匂いに、意識のピントが合った。
このふくよかで優しい、意識を底から温めてくれるような匂いは……おばあちゃんが拵える汁物だ。具材は豚肉と大根かもしれない。
そうだと、すると。思い当たる賄いメニューはただ一つ。
シンプルにして、最強の「元気の出るごはん」の一つ、豚汁定食だ。
豚汁を一口すすって、肉と脂の旨味と塩気が残っているうちに白飯を頬張れば、誰にも真似のできない『おばあちゃんだけの味』が体の隅々にまで弾けて広がる。
添えられているのは、炊き立てご飯と香の物のみだけど、いくらでもご飯をおかわりしてしまう、まさに疲れた体に活力を与える黄金セットだ。
人間てのは不思議なもので、たった一粒の希望を見出すと枯れたと思っていた元気の泉が勢いを取り戻す。
私もまた、布巾を握る手に力がみなぎり、そして漸くの事で店が『営業中』のままだったことを思い出したのだった。
涎が出るのをなんとか我慢して引き戸を開け、暖簾に手を伸ばした……その時。
「どーもー!突撃穴場ランチ!の御時間でえええええっっす」
目に痛いほど鮮やかな黄色いトレーナーとデニムのサロペットという衣装だか私服だか判別しづらい出で立ちでスマホを自撮り棒で構えるスタイルは、どこかで見たことがあるような気もしたけれど。
背丈は私の胸程度、しかしその目の輝きを一目見ただけで、油断ならないなと心の内に一線を引いてしまうあたり……このお客様が閉店間際に滑り込んできた社会科見学中の小学生でないことは間違いなかった。
「あの、すいません。今、仕度中――」
「いやあ!良かった、間に合ったわあ。よろしく、どーぞ」
妖しいイントネーションだった。少なくとも、興味を抱くような心地よさは無かった。関西弁のようにも聞こえたけど、外国語のようにも聞こえたそれは、何と形容したらいいのやら。失礼を承知で敢えて言わせていただくならば、出会い頭でこれほど胡散臭いというのは一周回ってちょっと面白い。
やけに滑舌が良くてベテランのレポーターかとも思ったけれど、妙にゆらぐ声は変声期の少年みたいだった。喋り方はどこか作り物めいているし、どこをどう信用していいのだと問いただしたいくらいなのに、何故だか無下に追い返すのも憚られた。
本当にお客様としていらしたのか?それとも嫌がらせ目的か?
私が逡巡しているのを知ってか知らずか、見た目は少年ぽいその人は空いている手をサロペットの胸ポケットに突っ込み、一枚の紙を取り出した。
「ワタクシ、こーゆーものでして」
両手を添えてやたらと丁寧な物腰で差し出されたのは、活版印刷でたった三文字刷られたシンプル極まりない名刺だった。
「イタチ……様」
「全国の小動物の視聴者様に、癒しと笑いを届ける情報動画チャンネル!をインターネットで運営しとりますぅ……わかります?インター、ネット。全世界でっせ」
困った。絶体絶命だった。
賄いをお腹に流し込んだら、急いで夕方の仕込みをしなくてはならない。イタチ様が『本物』かどうかは兎も角、取材協力をする時間なんてない。
そもそも、おばあちゃんはこの手の取材を嫌う。
ここはおばあちゃんにお伺いを立てるまでもなく、丁重にお断りするのがセオリーだ。
だが、目の前のお客様ときたら。
小さな体で更に腰を低く、名刺を私のあご下から差し出してはいるけれど、例の油断ならない眼光は引き下がる気などこれっぽちもない事を物語る。私がどんな言葉を繰り出しても、全て自分に都合よく上書きしてみせる……そんな危ない自信に満ちていた。
おばあちゃんのお店はいわゆる「困ったお客様」が皆無であり、未だこの手の要注意なお客様の対応はしたことがなかったから、私は名刺を受け取るのも忘れて地蔵の如く硬直していた。
すると、背中をトトンと叩く、小さな手のひらの感触が。
「お客様、ちょっとご用意の御時間いただきますので、少々【その場で】お待ちくださいましね」
おばあちゃんがお客様に断りをいれ、私を柱時計前まで引きずり戻す。
「あの方、イタチさん。でしょ?」
「え!おばあちゃん、知ってる人なの?」
「うーん……たぶんそうじゃないかしらと思っただけ。いいよ、座っていただいて」
「でも!お昼の営業時間は終わったんだよ」
「いいの、いいの。たぶんね、ヨウちゃんに色々言ったと思うけど全部ウソよ。イタチさん、てことだけ本当。こんな急にいらっしゃるってことは、何かのっぴきならない事情がお有りなのよ」
厨房に戻る直前、おばあちゃんは大丈夫だからと私の背中を再びぽんぽんと優しく叩いて、ニコリと笑った。
こうなったら、私にできることは一つしかない。
暖簾の下でワクワクしながら待ってらっしゃるお客様を、笑顔で店内にお通しした。そして、いつもの通り――おばあちゃんに言われるまでも無く、暖簾を【裏返し】た。
【六把目 其之二に続く】
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