【木曜日連載】虎徹書林のチョイ怖シリーズ第三話『そば処千妖にいらっしゃい』 第一回【書き下ろし】
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こんにちは、あらたまです。
【一把目】本日も開店~前編~
東京の空は狭い、なんて事をしたり顔でいうヤツはいつの時代にも一定の割合で居るという。
御常連様の中に居らしたら大変なので声を控えめにして言うと、私はそういうヤツが大嫌いだ。
いったい、どこのどいつが言い始めたんだか。と思う。
そいつときたら、俺いまスゲーイイコト言ったわー……みたいな顔をして、悦に入ってたんだろうなあ。と想像する。
その場に居合わせたなら、私が感じた無用の気恥ずかしさを、どんな言葉で伝えただろうか?と考える。
こんなに青くて、澄んでいて、果てしのない空。
きっとそいつは「東京」という言葉の響きと街が吐き出す有象無象の雰囲気をアルコール度数ばかり高い安価な酒をガブ飲みするように吸い込んで、脳味噌ばかりがでっかく肥え太ったに違いない。
バランスが悪くなった頭に振り回されて、あっちへフラフラこっちへチョロチョロするうちに、上を――本物の空を見上げることを忘れてしまったのだ。
たぶん……いや、絶対に。そうに違いない。
なぜ、そう言い切れるのか?
だって、ちょっと前まで、私がそうだったから。
自分の画が馬鹿の産物に思えて、人間関係にも疲れて、全部放り出して【おばあちゃんのお店】に転がり込むまで。
私は空どころか、なにも見ようとしていなかった。
海のにおいが微かに漂う大きな河沿いの、静かな静かな路地の途中にひっそり佇む、おばあちゃんの店。
私が逃げ込んだ【さいごの居場所】だ。
おばあちゃんは一人で、この店――それはそれは小さな御蕎麦屋さんを切り盛りしていた。
地面ばかり見て、世の中を呪うことしか知らなかった私は、大学を休学したその日に、おばあちゃんに招かれ、拾われた。
居候ってわけにも行かないから(私にもうしろめたさと云うものが未だ残っていたのだ)。
おばあちゃんは「ヨウちゃん、いいよ。ゆっくりしてな」と言ったけど、お店の手伝いを出来る範囲でやっている。
🍵 🍵 🍵 🍵 🍵
お店の軒先に暖簾を掛けるついでに見上げる空は、雲一つなく、カラリと晴れ渡っている。
冬らしい、キリっとした空気が頬の産毛を逆立てる感覚は、決して嫌なものだとは思わない。寒さを寒さとして感じられるのは、人として人らしい感受性を持って生きている証拠だ。
空港から飛び立ったばかりの旅客機の影は、お店の屋根までは届かないけれど、翼が反射する日の光は、容赦なく私の瞳孔を射貫いてきた。
「いいお天気」
私は開けっぱなしの引き戸から、お店の奥――厨房で仕込みをやってるおばあちゃんに声を掛けた。
「暖簾、かかったよー」
厨房の中から、少しくぐもった調子のアイヨー、が聞こえた。
おばあちゃんは仕事中、ほとんどアイヨーとしか返事をしない。
それだけ、自分の仕事に集中してるんだと思う。
おばあちゃんは仕込みだけは絶対に一人でやる、と決めている。
調理の一部は手伝わせてもらえることが増えてきたけど、仕込みだけは触れさせない。忙しい時やおばあちゃんの体調が思わしくない時、無理矢理にでも手伝おうとすると滅茶苦茶、怒るのだ。
一番手のかかる時間であるからこそ、誰にも触らせたくない……というか、触れさせないようにしている。
ハッキリと、おばあちゃんの口から直接聞いたわけではないけど、なんとなく。
そういう強い意志を、おばあちゃんの背中や肩、足元の影に感じる。
「ヨウちゃんは店を継ぐために来たんじゃないでしょ?」
一度、かえし(そばつゆの素、みたいなやつ)の寸胴に手を掛けようとして、やんわりと、しかし的確にピシャリと、叱られた。
その通り。私はおばあちゃんの手伝いを率先してやっているけれど、御蕎麦屋修行が目的でここにいるわけではない。
現実から逃げて、逃げ込んだ場所が、たまたまおばあちゃんのお店だっただけだ。
そういえば、あのときも――
店舗スペースの二階に、申し訳程度の住居部分が設えられた、この小さな小さな御蕎麦屋に足を踏み入れたあの日。
嗚咽と涙が止まらなくて挨拶もろくに出来ない私を、おばあちゃんはお店に唯一有る一枚板の大テーブルの、一番厨房に近い席に座らせた。
テーブルを指しはさんで真向いの壁、そこには膝くらいの高さの台座に乗っかったヘンテコな祠みたいなのがあって、真ん中に納められた鏡みたいなのがやけにピカピカと光って、妙に気を取られたのを覚えている。
「とりあえず、コレ食べときなさい」
いつの間に拵えたのか、おばあちゃんは天つゆとかき揚げが乗ったお盆を、わたしの目の前にスッと置いた。
出汁の香りがふわりと立ち上る汁にかき揚げを漬けると、ジュワッと音がして、箸に漣のような振動が伝わってきた。
泣きながらでも、わかった。これはきっと美味しいヤツ、と。
三つ葉、セリ、サクラエビ。
への字に曲がってまともに動かない口を、どうにかこうにか顎の力だけでこじ開け、素朴な見た目のかき揚げの端っこを齧った。
ほんのちょっと穴を開けただけで、少し気の早い初春の薫りが口いっぱいに満ち、喉の奥に跳ね返って鼻の中を吹き抜けた。その風はとても……とても清々しくて。
喉元と胸の奥底につかえていた言葉もため息も悲しさも羞恥心も説明のつかないぐちょぐちょしたものも、もう何もかもが意味をなさなくなっていた。
考え無しに全ての色を混ぜ、重ね合わせて、何を描いていたか自分でもわからなくなったモノから一色また一色と色が抜けていくみたいに。
そしてそれらは蒼い風に乗って、軽やかに飛び去って行ったような気分だった。
ゆっくり、ゆっくり。衣が汁を吸い過ぎてシオシオになってもまだ美味しいかき揚げの、最後の一口を名残惜しく飲み込んで。
ようやく、のこと。
「おせわになります」
そういった私に、おばあちゃんはたった一言だけ。
あいよ。と。
🍵 🍵 🍵 🍵 🍵
【一把目 後編につづく】
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