18.泥臭くやり続ける意味
前回自分の気持ちを言葉にして、自分というものをもう一度見つめなおしました。本当はもっと書きたかったのですが、話が逸れてしまいそうだったので、別の記事にして書くことにしました。
前回の話に関連しますが、人からの言動により自分の価値観は揺らいでしまうことがあります。
世の中には軽率な発言、行動をしていてもなんとなく上手くいっている、成功している(ように見える)人たちというのはいますよね。
もっと言えば人のことを大事にできなくとも、なんとなく成功している(ように見える)人もいますね。
そういった人たちを見て、地道にコツコツやっている自分が馬鹿らしくなり、全てを投げ出したくなる時期がありました。
細かいところまで考えたり、気遣いしたり、将来のことを考えたり…そうしている自分が損して、適当にしている人は成功して、幸せそう(に見える)なんて世の中不公平だなーってなんとも言えない気持ちになったんです。
私は簡単に物事を進めたり、夢をかなえたり、人の力でどうにかできる、なんて環境にはいませんでしたので、とにかく地道にコツコツ泥臭くやり続ける、これしか方法がないと思い、今でも自分の力で歩んでいます。
もちろん困ったときは助け合うことも大事で、常に一人かというとそうではありません。
困っている人がいれば助け合うこと。それが人間関係の大事な部分であり、お互いに信頼しているからこそできることだと思うのです。
でもいつでも人に頼れるか、というとそうではありません。
やはり究極的には自分の身は自分で守るという場面が何度も出てくるのです。それは仕事でもそうですし、プライベートでもそうです。
辛いときに手助けしてくれる人ももちろんいますが、私はそういう時に手助けしてもらって本当に助けられた場合もありましたが、逆に痛い目を見た場合もありました。
つまり人をきちんと見抜けなければ自分で自分を守る力もある程度は持っていないといけないわけです。
こう書くとなんだか悲観的に聞こえてしまいますが、大事なことは人に任せるではなく自分の力で進めた方が確実だということなんですね。
この数か月、一度は泥臭くコツコツやる意味を見失いかけましたが、それすら投げ出してしまったら今までやってきたことが全て無意味になってしまう。というか投げ出したところでじゃあ自分に何が残る?って思ったんです。これから適当に生きていくとして、それって本当に自分が望んでいる生き方なのかと。
そして友人に言われたのが
「そうやって泥臭くやっている人のことはきちんとやっぱり見てくれる人がいて、泥臭くやっている人にはそういう誠実な人たちが集まるものだ」と。
価値観の違う人たちを見て、なんとなくキラキラして成功しているように見えるな、でもそれはその人の人生で明日にはどうなってるかわかんないし、いいやって思えるようになりました。
つまりもっと自分の人生の方に集中した方がいいんですよね。
頭では分かっているつもりなんですが、やっぱりどこかで悔しい気持ちになります笑
またイラストとは関係のない記事が続くかもしれませんが、人間生きていれば色々あるし、こういう話も将来自分がいつか読んだとき、そんな時もあったね、でも今はもう少し楽な気持ちで生きてるって思えてたらいいなって。
もしかしたら読者の方も人間関係で何かあって、これを読んで何か感じる部分があるかもしれない、それで少し何かの足しになればいいかなって気持ちで書いてます。
とりあえず今日自分が思うことは書いたと思うので、次につながる行動をまた起こせたらいいなって思います。
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