九頭神社・葛神社(奈良県天理市下仁興町)
>https://miniuzi0502.sakura.ne.jp/jinjadistant/nara/tenri/kuzu01.html
>九頭神社【くず】(奈良県天理市下仁興町【しもにごうちょう】)
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>旧指定村社で、古い文献には葛神社とも書かれていたそうだ。
>鎮座は詳らかではない。古来から本殿がなく、約10平方メートルを玉垣で囲い、
>御本地といい、神木をもって神体としている。(『天理市史』)
ここの神社の説明は、私が思っている九頭神社にぴったりだ。
「九頭神社=葛神社」なのは「くず」に振り漢字したからだ。
つまり「九頭=葛」は万葉仮名だ。珍走の「夜露死苦」と同じだ。
本来の意味は
九頭=葛 ← くず ← kuzu ← kus=通路・道(アイヌ語)
「鎮座は詳らか(つまびらか)ではない」とは、
九頭神社の神様がどこに鎮(しず)まっているか、わからないということ。
>鎮まる(しずまる)=神霊などが鎮座する。衰える。おだやかになる。
> 落ち着く、おさまる。静かになる。沈着である。…広辞苑
多神教はわかりやすい神様の偶像(目に見える形あるもの)が
どこかにあるんだけど、九頭神社はそれがわからない。
いきなり形而上の存在に思えるが、それは違う。
九頭神社・葛神社は、通路・道の神様を祭った・祀った神社だ。
だから極めて具体的・具象的な神様だ。
わからなくなった理由は、「kus=通路・道」の意味を忘れたからだ。
なぜ忘れたのか?
>https://ja.wikipedia.org/wiki/石押分之子
>石押分之子(いわおしわくのこ)は、『古事記』、『日本書紀』に記述される
>大和国の国津神。『紀』では、磐排別之子と表記される。
>吉野の国巣の祖(『紀』では、国巣部(ら)の始祖(もとつおや)なりと記される)。
「くず」には「国栖、国巣、国(木巣)、国主、国津」の万葉仮名表記もあった。
この字で表される集団は先住民だね。
「くず=kus=通路」だから全国にあるんだよ。
もちろん朝鮮半島にもあって良い。というかあるはずだね。