大和時代(古墳時代) (3)
>https://iush.jp/uploads/files/20231115120143.pdf
>そうだったのか「倭国から日本国へ」
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>662 白江の戦〔日本書紀では 663 年〕
>郭務(小宗)の来倭(4 回。天智紀 3,4,8,10 年)
白村江の戦は663年と覚えていた。しかし662年だったのかい。
どっちが本当なんだろうか?
旧唐書・新唐書では662年、日本書紀では663年、wikiは663年。
世界大戦みたいな白村江の戦いの年月が、まだ定まっていないの?
どの時点で勝敗決定とするかで、倭国と唐で違うのだろうか?
白村江(錦江)は朝鮮半島西側で干満の差が激しい。(干満差6-7m)
マッカーサーの仁川上陸作戦と似た困難さがあったはずだ。
満潮時に船で敵前上陸しても、干潮では泥の海に捕まって逃げられない。
現地の人間ならば知ってるはずだが、知らないと厳しい戦いになるね。
白村江=はくすきのえ=hakusukinoe=hak(浅い)-us(入り江)-ukinoe ??????
662年を663年の未来に改竄したとするとその理由は…
(1)それ以前の過去に、都合の良い出来事を挿入したかった。
(2)それ以後に起きた都合の悪い出来事を抹殺したかった。
大和時代(古墳時代)と邪馬台国時代はダブっている。
竹田恒泰の教科書が検定合格というなら、
邪馬台国=近畿説で文部省は決定を下したのか?
「やまと ← yamatto ← yamakto ← ya(陸) + mak(奥) + to(湖)…ソースは俺の脳内」
これは気に入ってるんだけどね。これが文部省の教科書に採用されたら、
日本の歴史がもっと面白くなるんだけどね。