訳者インタビュー:オオソリハシシギの物語を通して表現される「生命の循環」#2
一生のうち地球と月を往復するほどの距離を旅する渡り鳥オオソリハシシギを主人公した絵本『めぐり めぐる』(ジーニー・ベイカー作)。
この絵本がもつ魅力を、翻訳した和田直(わだ・すなお)さんに聞きました。前編に続いて、後編となる今回は、直さんが翻訳家を志した理由を聞いています。そこには、子どもたちに心の糧を手渡していきたいという強い思いがありました。
■なぜ、子どもの本の翻訳家を志したのか
いろいろな出逢いがこの道につながっていますが、とても心を揺さぶられたのは、IBBY(国際児童図書評議会)創設者イエラ・レップマンの言葉でした。
ユダヤ人ジャーナリストのレップマンは、二次大戦中、迫害を逃れてイギリスに亡命していました。戦争が終わって祖国のドイツに戻ると、荒廃したドイツを立てなおすため、「まずは、子どもたちからはじめさせてください」と、ヨーロッパ各国に呼びかけて「平和の絵本」を集め展示会を行いました。なかには、ドイツに侵略されたとして断る国もありましたが、レップマンはあきらめませんでした。
レップマンの意思は受け継がれ、IBBYは現在も「子どもの本を通して国際理解を」という理念のもと、世界70以上の国と地域で支部を中心に活動しています。私は大学生の頃、恩師を通してレップマンのことを知り、日本支部であるJBBY(日本児童図書評議会)に入りました。
学部では児童文学や翻訳を勉強して、院生の頃は翻訳のバイトなどさせていただく機会もありました。でも気が多くて、翻訳からも子どもの本からもしばらく離れていたのですが、数年前にまた、心揺さぶられる出逢いがありました。恩師を通して、翻訳学の研究者であるモナ・ベイカー教授の授業に参加させてもらいました。
Translation and Conflictを題材にしていて、翻訳者や通訳者は、翻訳・通訳を通じていかに、戦争に加担しうるのか、あるいは反対に、平和をつくることができるのかといった内容でした。そこで「翻訳学」を学びたいと思い、留学しました。翻訳家を目指そうと決めて、帰国後、どの分野でやっていこうかと考えたとき、「子どもの本」に戻ってきました。
子どもの頃、くり返し読むほど好きな本がありました。それはシリーズもので、続編を親が買ってきてプレゼントしてくれたのですが、なんだか全然雰囲気がちがって好きになれませんでした。それは、翻訳者がちがったからだったのですが、それほど、翻訳者は作品世界を表現する存在だと思っています。だからこそ面白いし、大変だし、まだまだ私は学んでいる身です。それでも、この道を歩いてみたいと思うのは、何年経っても心に残っているたくさんの作品たちや尊敬する子どもの本の翻訳家の方々との出逢いがあってこそとも思っています。
■翻訳者が平和をつくるとは
「翻訳学」というと、それって何?と聞かれます。「翻訳学」を通して私が学んだことを一言にすると、翻訳というしごとはどのように社会へ影響しうるか、です。翻訳者の社会的な役割とも言えるかもしれません。
私が学んだ大学院の先生は、「イデオロギーの介入しない言語活動なんてない」と言い切っていました。私たちは溢れるほどの情報のなかで生きていますが、翻訳されたものもたくさんあって、それらを通じて世界を理解し、ある意味経験しています。たとえば、ある事件を伝えるとき、被害者や加害者など語りの視点によって、あるいはどの証言を引用するかによって、受け手の事件の認識は異なるものとなります。
翻訳を通じて知る場合には、情報の切り取り方や訳し方に、情報の発信者や翻訳者の社会通念や政治的・宗教的思想が影響することも、大いにあります。これはときに、偏った考え方を植えつけたり助長させたりしてしまうこともありうるので、それでベイカー氏は、翻訳者や通訳者は、戦争に加担しうる「語り」を流布したり、反対に抵抗したりすることができる、と指摘しているのです。
■今後、訳していきたい作品
子どもたちに、心の糧となる本を手渡していきたい。本は、他者の物語を体験する心の旅です。現実世界よりもずっと簡単に、国境を越えて、時を超えて、さまざまなちがいのなかでいろいろな経験をします。そうした旅から戻ってくると、自分の生きている世界を一歩外から見ることができるようになったりします。現実世界での人と人との繋がり、自然や生きものとのふれ合いはもちろん大切です。でもそれとは別な方法で、物語世界が教えてくれる豊かさがあるように思っています。
参考:
Baker, M. (2006) Translation and Conflict: A Narrative Account, Oxford: Routledge.
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和田 直(わだ すなお)
1983年、新潟市生まれ。津田塾大学大学院修士課程、およびエディンバラ大学大学院翻訳学修士課程修了。草木染めの「工房のい」主宰。訳書にエヴァ・ホフマン『時間』(共訳、みすず書房)。
ポリフォニープレスは、絵本やアート本を中心に刊行する、茨城県つくば市の出版社です。facebook, twitter, website