見出し画像

いつか月も旅先になるのだろうか-『100%月世界少年』|読書

飛行機で海を渡るように惑星間航行の機体で月に降り立ち、物珍しげにその世界に踏み込んで行く日が来るとすれば、その背景には人類が存続しうる資源が月にあってのことだろう。
けれど、その資源をもただ消費し続ければ、再び人類は衰退の一途を辿る。

退廃的な空気の中で閃く鮮やかな色彩を描いたSF小説の読書記録。

「あなたの眼が見たい。わたしは傷ついたりしないわ」地球から来た少女にせがまれ、月世界生まれの彼はゴーグルを外した。これは犯罪行為だった。

スティーブン・ダニー 著, 茂木 健 訳『100%月世界少年』創元SF文庫|ウラスジより抜粋

あらすじ

2000年後の未来、月で稀に生まれる〈第四の原色〉の瞳を持つ子供たちは、法律で生涯ゴーグルの着用を義務付けられている。その瞳を見た人間は錯乱をきたすためだ。
地球の少女にその瞳を見せてしまった少年は、執拗に追われる中で何故そんな扱いを受けるのか疑問を抱く。そして巧みに隠された真実を求めて、仲間たちと共に月の裏側を目指す。


世界観 × KEYWORD

地球上の全ての化石燃料を使い果たし、緩やかに滅亡へと向かっていた人類は、新たなエネルギー資源が発見された月に活路を見出した。
新資源に依存しながら発展した月社会と、砂漠のまま放置された月の裏側を舞台に描かれる。

▷ウルザタリジン

  • 月で新たに発掘されたエネルギー資源

これのおかげで、数百万人分の雇用が創出された。太陽系内の全航路が開けた。ウルザタリジンは神が与えたもうた生命の酒であり、聖水だった。

本書(文庫本)|P.153

ウルザタリジンを採掘・運搬し消費を続けるも、それ以上に産業として発達させるに至らなかった月社会は衰退の一途を辿る。

▷百パーセント月世界少年 / 少女

  • 月世界で稀に生まれる、先天性の奇妙な障害を持つ子

  • 第四の原色の瞳を持つ

彼らに備わる極めて特殊な能力について、月政府は長年にわたって隠蔽し、狡猾に利用してきた。
そして理不尽な扱いを受けながらも、抗える者はいなかった。

▷第四の原色

  • 地球には存在しなかった、表現しようのない色

▷ハチドリ

  • 月に生息する唯一の鳥類

  • 犬並みの大きさで、群れになって月の砂漠を越えてゆく

▷きままな樹木狼

  • 作中に登場する本のタイトル

  • 内容までは記されてはいないが、主人公が行動する動機となる

  • ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』を彷彿とさせる

キャラクター

個性豊かなメンツが揃っているだけでなく、ウィットの利いたネーミングセンスに脱帽した。

  • ヒエロニムス(主人公):百パーセント月世界少年

  • ブリューゲル(主人公の悪友)

実はこの二人の名が本作を読み始めるきっかけとなった。
絵画によって教訓を伝えていた時代に、奇妙で独特な作風の絵を描いた画家たちと同じ名だ。全くの無関係とも思えず、寓意の込められた作品かもしれないと考えるのは、深読みしすぎだろうか。

▷ヒエロニムス・ボス
・ルネッサンス期のネーデルラントの画家

ピーテル・ブリューゲル
・16世紀のブラバント公国(現オランダ)の画家
・後世、ヒエロニムス・ボスの影響を大いに受けた作風とされる
・『バベルの塔』で有名

  • スズメの上に落ちてゆく窓:地球の少女

2000年後の地球で流行りのお洒落な名前は、シュルレアリスムのような奇妙な印象を思わせつつ、先に取り上げた奇想の画家たちの作風と交錯し、いい雰囲気を醸し出している。

個性豊かな友人たちと彼らのロール

主人公ヒエロニムスは少年から青年への過渡期にある年頃の男子高校生。
どこか詩的な台詞をこぼす彼は、学習能力において奇妙な偏りを持っている。それが個性豊かな友人関係の広がりに寄与している。

どれだけ長く月の上で生きれば、人間は人間でなくなってしまうんだろう? 百パーセントという数字に妥協の余地はまったくない。百パーセントの人間でないのなら、その人間は別の生き物に決まっているんだ。月なんか、宇宙に浮かぶ石ころに過ぎない。その上で、ぼくらは死ぬまで人工の空気を吸う。ぼくらは一生、彗星を溶かした水を飲む。そして君は、髪をブルーに染めた。

本書(文庫本)|P.99

警察に執拗に追われる身となったヒエロニムスが自らを守るため行動する中で、友人たちがそれぞれに重要な役割を果たしてゆく。
彼らが駆けるのは、学校に、月を走る地下鉄の中でも最も汚く危険な路線、遊園地や繁華街といった眠らない街。そして、月の裏側だ。

印象的なセンテンス

お洒落で豊かな感情表現が随所に見られる。中でも冒頭に描写されるヒエロニムスの静かな感動をイチオシしたい。

ハチドリの群れのやかましい羽音は、人間の内耳にある何かを刺戟するらしく、聞いた者はみな、自分も空を飛んでいるかのように気分が高揚する。
だからこそ、あの少女と唇を合わせた瞬間、ヒエロニムスもこう思ってしまった。
――ぼくは今、ハチドリの群れに交じっているのだろうか?
彼女とキスをしたという事実が、この地下鉄での移動を、なんとか耐えられるものにしていた。

本書(文庫本)p.7

五感に響く表現は、著者スティーブン・ダニーがミュージシャンでもあるが故だろうか。特に、最後の一文の言い回しに強く惹かれた。

ヒエロニムスの浮き立つ夢見心地と、恐らく月世界で一番劣悪な場所に身を置いていることのギャップが相乗効果を生んでいる。さらに恐らくかなり騒々しいであろう地下鉄の走行音さえも、かき消してしまう。
まるで時間超越的な感覚を追体験させられるようだった。実にお見事。

感想

月と地球が交錯する未来のシュールな世界観の中で繰り広げられる、ウィットの効いたフレーズと緊迫感満載の逃走劇は、テンポよく疾走感があった。

恐らく本書のテーマでもあろう紙の本や文学に対する哀愁が漂うことも印象的だった。アーティスティックなSFと称せば良いだろうか。



Initial draft 2022.5.31
Rewrite    2024.10.28

よろしければ是非サポートをお願いします! いただいたサポートで駅弁食べます! (超訳:各地の特産物や文化・特色についての探求活動費に使わせていただきます!)