ヴィーガンになってからの暮らし
つい最近、ヴィーガンになった。
つい、18分前のことである。
ヴィーガンになったきっかけは些細な好奇心であった。
そもそも、私はヴィーガンがなにであるか、何を意味しているのかすら知らなかった。
今も実際のところ、よくわかっていない。
前までの私は、焼肉、焼き鳥、寿司、ピザなど、ヴィーガンが発狂するであろう食材ばかりを食べていた。
日本語で言うところのこれは「贖罪」である。
今まで食してしまった動物たち、魂、霊たちに感謝と祈りを捧げつつ、ヴィーガンとしてこれからは生きていきたい。
だが、決して私はヴィーガンになることが動物愛護に通じているとは考えていない。
我々が今生きることができているのは、食べ物だけでなく、幼少期に打ったワクチンであったり、熱が出た時に飲む薬であったり、そのようなもののおかげである。
これらは、動物の犠牲なしでは作ることはできない。
だから、私はヴィーガンになること自体が動物愛護に尽力できているとは考えていない。
しかし、ヴィーガンになることが動物を守ることに繋がらなくとも、私はかつて「食材」としてしまった動物たちへの「贖罪」を行うためこれからもヴィーガンであり続けたいと思う。
ちょうど、今ヴィーガンになってから25分がたった。
これが2時間、3時間になっていった時、さらに私は心から動物たちに感謝を捧げることができるようになっているだろう。