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アニメのわき役キャラのライフタイム 《No Ghost Just a Shell》

1999年から2000年にかけて、アンリーを用いた作品が提示された。世界各国の展覧会で、アンリーに意味づけが行われていた。

下のリンクの写真、手に持っているセル画がオリジナル。それを持っているCGはフィリップ・パレーノによる3Dモデリング。

ヘッダーの写真はダイアテキストの06 2002/3/1の号。ここにアンリーの写真が4点ほど収録されている。


2002年12月19日にWIREDにも記事が掲載されていた。


アンリー。日本のアニメキャラクター開発企業からピエール・ユイグとフィリップ・パレーノに買い取られたキャラクター、とある作品のわき役であり、その作品のリリース後には忘れ去られる存在。そのキャラクターの著作権とデジタル・データを買い取った。買い取った時には、ID番号と名前のみであり、経歴や、その他の情報設定は無かった。

日本のマンガ・キャラクターであるアン・リーは、ある特定の作品のために生み出されたキャラではなく、どのような筋書きにも当てはまる、個性を排したキャラクターとして作られた。しかし、登場したのはほんのいくつかのコマの中のみ、それ以上生き延びるチャンスはなかった。

ピエール・ユイグとフィリップ・パレーノが、彼女を買い取ったのは、彼女自身を商品寿命のサイクルから救い出すことが目的だった。

様々なアーティストが、彼女の殻を埋める何かを表現し、世界中で展示された。ピエール・ユイグが提示したのは映像作品。


サンフランシスコ近代美術館の展覧会《No Ghost Just a Shell》は、そうしたアンリーの葬儀を行うことが目的だった。

新しい展示の趣旨は、アーティストたちにアン・リーのキャラクターを使わせ、さまざまなアイディアで彼女の空っぽの「殻」の中を満たし、命を吹き込むことだ。アイディアは、アニメーションや絵画、ポスター、書籍、ネオン作品あるいは彫刻として表わされる。

空っぽのキャラクター、No Ghost Just a Shell は、攻殻機動隊 Ghost in the shellから取られている。1995年の公開。ピエール・ユイグは、この作品から影響を受けたという。


アンリーは4万6千円で販売された。ほとんど設定もなく、キャラクターとはいうものの、そのイメージがあるだけ。

複雑な設定、背景、性格、人生とも言えるエピソードを付与されたキャラクターではなく、アンリーのような、すぐさま忘れ去られるキャラクターがアーティスト達の手によって拾い上げられることが重要だったという。

GHOST IN THE SHELLは1995年に公開された日本のアニメ映画、機械化された体と電脳化された頭脳を持ち、そうしたサイボーグ化のことを義体化と呼ぶ。人間だった時の記憶(?)がゴーストとして義体に宿るというもの。このゴースト、精神、心、感情、直観といったものだろうか。


草薙素子からは、あふれ出るほどの世界があるが、アンリーにはない。その空っぽの殻を埋めてあげようというのが、《No Ghost Just a Shell》という作品。

ピエール・ユイグとフィリップ・パレーノは、各アーティストに、アンリーについて作品化することを依頼し、彼女の空の殻を埋めるなにかを創り出そうとした。

この展覧会が終わったら、彼女は正式に埋葬される。彼女の著作権とともに。今後は一切利用できないとされた。

この葬儀、1970年9月のジョン・バルデッサリの「ソフトウェア」展の一環、《火葬プロジェクト》、古い自作の売れなかった絵を火葬するというプロジェクトをオマージュしているのだろうか。

Wikiによれば、火葬はライフサイクルの関連性という。

バルデッサリは芸術行為と人間のライフサイクルとの関連性を提示した。



葬儀を終えたアン・リー、岡山芸術交流でティノ・セーガルの作品として復活していた。イアン・チェンの作品とともに、林原美術館で提示されていた。

それ以前にも2005年にベルリンのギャラリー Esther Schipper で、ピエール・ユイグとフィリップ・パレーノの映像作品が展示されていたらしい。2005とあるから、新作の映像ではないだろうか。



岡山芸術交流でのアンリーの復活は、インタビューで答えている。

まず、彼女(アン・リー)を故郷に連れてくるというのが第一でした。最初はティノのアン・リーだけでいいと思っていて、自分の映像作品を出すつもりはなかったのです。けれどもティノに「アン・リーの作品を出してほしい」と言ったら、「(ピエールの)映像ももちろん出すでしょ?」と言われて出品することになった。

実際に、このパフォーマンスを見た。その時は、パフォーマーの少女を見つめながら、セリフのことを考えていた。手渡されたスコアを追っていた。よく、この長いセリフを覚えているものだと感心していたことを思い出す。

私自身は、はじめからティノのアン・リーとイアン・チェンの《BOB》を一緒に展示したいと思っていました。ティノとイアン、私がふたりに共通して面白いと思っているのは、ふたりとも何かをモディファイする能力があるということです。私は「モディファイ」という言葉が好きでよく使うのですが、これはただ外側に変化を与えるだけではなく、中身を「変容させる」というイメージがあります。そこには外側の物理的な変化だけではなく、中身の変容、内省的な変化も含まれている。

ピエール・ユイグが表現したアンリーの映像から、パフォーマーとして生身の人間が現れる。そうした接続。外界からの影響を受けるBOBの中身を取り出したら、アンリーを満たすものが出てくるのではないか。





様々なアーティストによるアンリーの表現、用意をして、後は様子を見る。この考え方 Mise-en-scène と表現していることなのだろうと考える。


リアム・ギリックの作品

リクリット・ティラヴァニの作品

ドミニク・ゴンザレス=フォルステル

M/M が制作したポスター


ハンス・ウルリッヒ・オブリストのテキスト

No Ghost Just A Shell was more than a context. It was a sign, offered up to different artists to read and interpret successively and separately, each following his or her own inclinations.

アンリーは、それまでのプロジェクトと比べてコンテキスト以上のものをもたらした。


コレクションは全てVan Abbemuseumに収蔵されている。


the idea of No Ghost Just A Shell as an archive on the one hand but, on the other, also as a disseminator of information – where historic information contains seeds for the future while carrying the information of the past.

アンリーを表現するプロジェクト、No Ghost Just A Shellは、アーカイブとしての役割を持たせた一方で、情報の発信者、歴史の種として未来へ過去の情報を運ぶ


キーワード

・the reflection-in-action

・著作権

・アーティスト・コラボレーション

・触媒、過去ー現在ー未来

・展覧会丸ごとのコレクション

・展覧会から展覧会への継続




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