Xデー、渡邊恒雄が死んだ日
Xデー、つまりナベツネこと渡邉恒雄が死ぬ日を待っていたメディアは、準備はしつつもいくらなんでも今年はもうないなと思っていたのだろう。それなのに昭和100年を待たずに還らぬ人となった。しかも実は律儀なのかご丁寧に全週刊誌全てが今週号の自身の追悼特集を組めるような日に死んでくれた。まるで衰退していく斜陽の既存メディアに残した置き土産のように。あと1週間遅かったら追悼号は年を明けて新春号でというマヌケな格好になっていたことだろう。確かに速効性のあるニューメディアには元旦だろうがお盆だろうが全く関係のない話なのに。
最後に置き土産を残したのは意外にも身内の新聞社ではなく週刊誌だったことは驚きだ。新聞よりもテレビよりも即時性に劣る週刊誌や月刊誌にはありがたい話だろう。しかも同じオールドメディアなのに大手メディアの新聞•テレビとは違う、ゲリラジャーナリズムだと言いたげな雑誌に置き土産を残してくれるとは。
今でも記憶に新しい事件を思い出すと、確かに功罪は沢山ある。
2004年のプロ野球再編問題での「たかが選手が」発言や、近鉄の買収を名乗り出た堀江貴文(当時ライブドア社長)への締め出し、それに読売巨人軍ゼネラルマネージャーであった清武英利を渡邉の私物化を批判したことで全ての役職から解任したことである。今からすればメディアの加工もあった(当時日本プロ野球選手会会長古田敦也自身もオーナーと会いたいとは言っていないと述懐している)し、堀江も「ナベツネはセンスがある」と褒めている。
「モガベー」という言葉の発明者は渡邉なのだが、どうしても「モバゲー」を覚えられないから「モガベー」になってしまったのである。まあそのおかげで、「モバゲーベイスターズ」にはならず「DeNAベイスターズ」になったということなどだが。いずれにしろストライキが決行され、日本プロ野球が2リーグから1リーグにするという渡邉の構想が阻止できたのは良かったことだし、堀江としては孫や三木谷に持ってかれたことに今でも内心忸怩たるものはあるだろうが、新規参入が認められたことは俯瞰で見ればよかったのだろう。ただ清武の乱に関しては清武が全て正しいというわけではないが、乱が鎮圧されたことにはまた内部告発が潰されたのかという記憶も残存している。
印象に残ったのは、靖国神社に対する見解である。改憲論議の口火を切った張本人でありながら、戦争経験者として内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対していたことは正直意外であった。「誰が首相となるかは問わず、(中略)その人が靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず(中略)、さもなければ、私は発行部数1,000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す」とまで言い切る。また靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者施設を建設すべきと主張している。これは絶対に産経新聞が言わないことだ。読売と産経の違いが明確に出ている。
そしてまるで週刊誌に合わせたかのような死は唐突に雑誌に寄稿したことを思い出す。沖縄返還時の日米密約を題材に山崎豊子が描いた『運命の人』をめぐる顛末のことだ。西山太吉をモデルとし清廉とされている主人公毎朝新聞と主人公のライバルでゆすりたかりの悪徳記者の対立が繰り広げられるのだが、その“悪徳記者”のモデルはどう見ても渡邉本人なのである。
2012年にドラマ化され、話題になったが、渡邉は憤慨し、『サンデー毎日』2012年2月19日号に「私は『運命の人』に怒っている」と寄稿した。すると寄稿後に渡邉をモデルとされ大森南朋が演じた山部一雄は次第に美化され面白くなくなっていく。西山をモデルとされた主人公弓成亮太には本木雅弘が演じている。
個人的な感想を言えば山部と弓成は、渡邉と西山というより現在の田原総一郎と佐高信が何故かダブって見えた。(ゆすりたかりは別として)特に取材におけるアプローチ方法が正反対なところだ。”下衆なたかり記者“だろうがなんだろうが少なくとも渡邉の寄稿後より寄稿前の方がはるかに魅力的に見えた。渡邉本人が強調して否定するとかえって小物に見えてしまっていた。寄稿に記されていること自体は渡邉の本心に思えるが、よく見ると、”サンデー毎日の要請で執筆“という一文があるのだ。つまり『サン毎』からの依頼とも取れるのだ。そしてこの騒動で間違いなく『運命の人』の宣伝効果になったはずで、毎日新聞社(TBS含)と渡邉の出来レースだったかもしれないのだ。確かに毎日新聞社は得をしたかもしれないが渡邉個人のイメージアップにはなっていなかっただろう。これは”事実は小説より奇なり“よりベンチ内の内幕”といった方がいいかもしれない。
ちなみに「抗議するなら山崎(豊子)さんにすればいい」とまだ健在だった西山が論じていた。「まったく事実と反する所が山と出てくる。ナベさんが怒っている以上に私が怒っている。」と。この話もまだニューメディアの黎明期だった頃でオールドメディアにも危機を感じていなかったのかもしれない。オールドメディアも嫌な奴だったが素直に置き土産を受け取って読者のせいになどせずにニューメディアとしのぎを削って生き残ってもらいたいものだ。