凸凹さんの感覚に寄り添う
感覚や世界観は人それぞれですが、発達凸凹さんゆっくりさんの見ている世界、感じている世界は特有で、定型発達の人とはまた違います。
それは、当事者の著書を読むとわかりますし、実際に関わっていると実感します。
この子たちは、私の感じていることと違うように感じているなぁ、私の見えているものと違うものが見えているなぁと感じることがあります。
それを知ることは私の世界が広がることでもあり、豊かで、とても楽しいです♪
だけど、発達凸凹さんの感覚や世界観が特有であることを知らない人も多いです。
発達の遅れや社会性や衝動性、不注意などの特性はよく知られていますが、感じ方や考え方の部分は注目されていないように感じます。
また、凸凹のあるなしに関わらず、感覚や世界観は実際に自分の中で感じているものだから、他の人と違う感じ方をしているということに気づきにくいです。
私のことを振り返っても、感じ方を人と共有することって案外なかったと思います。
基本的に、ほとんどの人は自分の感覚で物事を捉えて考えます。
自分の感覚と他の人の感覚が違うことを理解していなければ、当事者は伝えることもなく、周りの人は感覚が違うということを知らないことになります。
歩み寄れないままです。
違うかもしれないということを前提に、相手がどんなふうに感じているのかを知ることが大切だと思っています。
そして、支援をする時には、凸凹さんの感覚に合わせて考えます。
一方的にこちらの感覚に合わせようとするのは凸凹さん本人も苦しいし、がんばらせようとするけど上手くいかない支援者も苦しいです。
その人の見ている感覚や世界に合わせて、その世界の方法を使います。
何を感じているのか、どう見えているのか、どう聞こえているのか…
相手になれるわけではないので、完璧に理解できるわけではありませんが、それでも、まず一緒に過ごして、同じ目線になってみることで、見えてくるものがあります。
言葉より絵の方が得意なのかも。
手を動かしたらよく見てくれるみたい。
この音は聞いてるけど、あの音は嫌い。
目を開いたら笑ってる。
あのおもちゃの感触が好きみたい。
魚はずっと見てる。
感覚や世界観に寄り添います。
それが支援や生活やコミュニケーションのヒントにもなります。
支援をしていて、言葉で伝えようとする人がとても多いように感じます。
だけど、言葉が本当にその子の世界にあるのかを考えないといけないのではと思います。
その子の世界では、何を使うのがわかりやすいのだろう?と私は考えます。
言葉の表現がある子でも、独特の表現をすることもあり、その子の表現を使うことで世界を共有できることが多いです。
例えば、その子が嫌な時に「め、め」と言うとします。
こちらがだめなことを伝える時に「だめ」と伝えるよりも、「め、め」とその子が使う音を使うことで、伝わりやすくなるということがよくあります。
寄り添ってばかりでは世界が広がらない、一般的な世界に馴染めない、などという心配もあるかと思います。
だけど、寄り添ってもらえって安心できていると、次第に相手の世界や周りのことを受け入れられるようになることもあります。
感覚は変わらないかもしれませんが、無理に変えることはできないので、違うと前提で工夫をして生きていかなければいけません。
まずは、凸凹さんの世界観や感覚に寄り添うことが大切です。
合わせられない支援者は、自分も独特の感性を持っているかもしれないので、自分を見つめてみることも大事かもしれません。